子どもの性は誰のもの?

過去記事でも述べた「きのう何食べた?」を見たり職場でLGBTQについての議論があったりで、最近私のなかではLGBTQまたはSOGIESC(ソジエスク)に関心がある。
(※理由は後程記載するが子どもの性別についてはわからないように書いているので歪曲で読みにくい場合があることを先に謝罪させていただく)


下記URLに詳しく説明をお任せするがLGBTQは
レズビアン(女性同性愛者)
ゲイ(男性同性愛者)
バイセクシュアル(両性愛者)
トランスジェンダー(出生時に割り当てられた身体の性別と異なる性別で生きたい人、現に生きてる一)
クエスチョニング(どんな性別の人を愛するか、自分がどんな性別なのか定まってない、決めたくない人)
という代表的な性的マイノリティの略称である。 

SOGIESCについては
性的指向(好きになる性)
性自認(心の性)
性表現(服装や言動における性の表現方法)
身体的性(身体の性的特徴のこと) 
というすべての人に当てはまる性のあり方の概念。  

まあ、長々と説明したが標題に戻ろう。子どもの性は誰のものだろう?(もちろん最終的には本人のもの以外なにものでもないのだが)疑問に思った理由について説明したい。

私には子どもが一人いる。まだ言葉も上手く話せず上述のような性自認だ、性的指向だ、性表現だということはわからないだろう。身体的性については疑いはあまりないが、性的指向や性自認、性表現については規定されていない状態だ。

だが、ここで問題となるのは性表現についてだ。現在子どもの服装はパートナーと私の合議制で買っている。または職場の方々からありがたくもらっている。
どの服も子どもの身体的性を考慮したプリントにはその性別の子どもらしいプリントや装飾がついている。

そこで問題なのは、これから子どもが性自認において別の性であることやどちらともいえない、わからないという場合になったとき、今の性表現は将来的に子どもを傷つけないだろうか?ということだ。
中には中性的なものもあるが、子どもの身体的性とまるっきり違う服装はさせたことがない。だからといってそうするのが必ずしも良いとも思わない。

なので、私は暫定的処置として今は子どもの性は親の私としては規定しない。身体的性は規定されてしまっているが、あえて必要時以外は言葉にしないようにしようと思った。

服装についてもできる限りの記録に残す際は中性的なものを心がける。男の子でも女の子でもどちらでも良いしどちらでなくても良い。そんな曖昧な結論でここまで読んだかたには申し訳ないが、親として子どもにできるひとつのこととしてここに書いておきたい。

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