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ぼくとフランソワ・シモンさんの15年。 8.

※ こちらの内容は、ウェブサイト(現在は閉鎖)にて2016年~2019年に掲載したものを再投稿しています。内容等、現在とは異なる部分があります。ご了承ください。

Casa BRUTUS誌上でフランソワ・シモンさんの第三弾が刊行されたころ、ぼくはといえば、毎日早朝から夜中までパンを作り続けては捨てるしかないという、何のために働いているのかさえわからない日々を過ごしていた。
うちの店は歩いている人たちから見えていないのでは、と思うほどお客様の少ない店でブラインドテイスティングの結果を見たぼくは、やはり関西はコムシノワさんかと納得していた。

というのも少し時間を遡り、ぼくが店をはじめる直前のこと。
「関西で凄いと聞くお店を観に行こう。それをお手本、目標にして目指そう」と大阪、神戸の2軒のお店へ視察に行った。
ぼくは直接お世話になったパン屋さんが1軒しかなく、修業期間も短かい。おまけに異業種からきた業界音痴だったため、当時は関西で有名なパン屋さん=ビゴさんという認識しかなかった。
そんなぼくでさえ繰り返し「凄いお店がある」と耳にするお店があった。
1軒は関西の重鎮、福盛先生がされていた青い麦さん。そしてもう1軒は移転される前の小さなお店だったコムシノワさん。

当時、京都にはいわゆるハード系と呼ばれるパンをウリにしたお店が皆無といえる状態で、自分が目指そうとするスタイルのお店がないに等しかった。
また東京はといえば、情報として有名なお店や一流のお店があることは知っていたけれど、ぼくにとっては外国同然で、東京の有名店はフランスにある有名店と同じで雑誌や専門誌で見るものという感覚だった。
それほど当時のぼくにとって東京は精神的に遠い場所であり、ある意味フランスよりも遠く、この先もずっとかかわることのない場所だと思っていた。
まさか10年後に自分が東京で店をすることになるなんて、このときは夢にも思わなかった。

大阪の青い麦さんと神戸のコムシノワさんを観に行ったぼくは、そのお店の雰囲気とレベルの高さに圧倒された。

こんなにもレベルが違うのか…ぼくには、あんなパン作れるわけがない。

うなだれながら帰路についたことを憶えている。
完膚なきまでに打ちのめされるとは、こういうことだと思った。と同時に、ぼくはこの2軒を目標にしようと決めた。

それから約半年後、Casa BRUTUS誌上でコムシノワさんのクロワッサン、バゲット、カンパーニュが1位になった。

つづく


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