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ぼくとフランソワ・シモンさんの15年。 12.

※ こちらの内容は、ウェブサイト(現在は閉鎖)にて2016年~2019年に掲載したものを再投稿しています。内容等、現在とは異なる部分があります。ご了承ください。

2000年、久しぶりにCasa BRUTUS誌上でシモンさんの名を見つけ喜んだものの、そのタイトル「あのF・シモンが緊急来日!日本に本物のジビエはありますか?」から企画がパンでなくなったことを知り落胆していたぼくに、数ヶ月後1本の電話がかかってきた。

「西山さん、マガジンハウスさんのCasa BRUTUSからお電話です」

Casa BRUTUS = フランソワ・シモンさんだったぼくにとって、その依頼内容またそれに対する返事は電話に出る前から自明だった。
いまでもこのときの会話を鮮明に憶えている。

「フランソワ・シモンという批評家が・・・」

「もちろん存じ上げています!1回目のBRUTUSさんから全て読んでいて大ファンです」

「それでしたらお話は早いです。”お受けになられますか?” 」

「もちろん喜んで!」

“お受けになられますか?” という一言に僅かな違和感を覚えはしたけれど(この意味は取材当日わかることになる)、大前提としてボロカスに叩かれ書かれることを承知の上だったぼくにとって、そんなことよりもあのシモンさんに直接会えることの方が嬉しかった。

当日は準備万端、カメラとサインをもらう用意をし、浮き足立ちながら待つぼくの前に遂に現れたシモンさんはイメージ通りだった。
関西人が言うところのシュッとした細身で、スーツ姿がとても似合う知的な容貌のルパン三世みたいな人だった。
ところがどうも雰囲気がおかしい。これまでにもいろんな取材をしていただいたけれど、まず来られているスタッフさんの人数がかなり多い。
違和感を覚えたものの嬉しくて仕方なかったぼくは、スタッフさんへ無邪気に声を掛けた。

「写真を撮らせてもらっていいですか?」

「ダメです!」

即答過ぎて、ピシャ!ってドアを閉めるような音が聞こえた気がした。
挫けずに次のお願いをしてみる。

「サインもらえますか?」

「・・・後で書いてもらうので、その辺に紙とペンを置いといてください」

やはり普通の取材とは何か違うと、ただならぬものを感じた直後、スタッフさんの1人がぼくのところへ来られ早口でこう言われた。

「これは普通の取材ではありません。批評なので一切話しかけないようにお願いします」

今度はハッキリとピシャ!って音が聞こえた。
ひぃ~怖すぎる。そうか打診があった際に「お受けになられますか?」と言われた違和感はこれだったのか。
厨房へ戻り仕事を続けたものの気になって仕方がない。
販売スタッフに「どんな感じ?」と訊いても「イートインされているんですが、何だか異様な雰囲気で怖くてあまり見れないです」と言う。
厨房から顔を出してイートイン席に目をやると、その光景は確かに異様だった。

テーブルの真ん中にお皿があるのは認識できるけれど、よく見えない。
何せ、みなさんがテーブルの周りを囲むようにして顔を寄せ合いコソコソと話をされているのだから。
そうしているうちにシモンさんが店内を歩き始められたので、ぼくは厨房から遠目にその姿を追った。いよいよパン・ド・カンパーニュ・ルヴァンが置いてある棚の前に差しかかる。

えっ・・・

一瞬も止まることがなければ、見ようとさえせず素通りだった。
そしてそのまま店を出て行かれる御一行を見ながら居ても立ってもいられなくなったぼくは、最後に出ようとされたマガジンハウスの女性スタッフさんを呼び止め、小さな声でこう伝えた。

「このカンパーニュ、持って行ってください。売れもしないことをわかっていながら、いつかシモンさんが来られるかもしれないと思って、そのためだけに2年間も作り続けたんです。食べてもらえるだけで構いませんから」

するとその女性スタッフさんは、「心配しないでください。明日、改めてマガジンハウスの者が買いに来ますから」と言葉を残し、店を後にされた。

結局、ぼくはシモンさんと一言も言葉を交わすことができず仕舞いだった。
緊張から解放され安堵したぼくは、サインは書いてくれると言われていたことを思い出しテーブルに目をやると、そこにはまったく予想外の言葉が並んでいた。

つづく


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