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ぼくとフランソワ・シモンさんの15年。 9.

※ こちらの内容は、ウェブサイト(現在は閉鎖)にて2016年~2019年に掲載したものを再投稿しています。内容等、現在とは異なる部分があります。ご了承ください。

西川シェフの大活躍を見ながら、ぼくは強く思っていたことがある。

悔しいな、あと2年・・・いや、あと1年でも早く店をしていたら、うちにもシモンさんが来てくれていたかもしれなかったのに

それなら上位に入れていたかも、などといった自惚れではもちろんない。
そもそもぼくは、そんな強い自負心を持って店を始めたわけでもない。
単純に「シモンさんを生で見てみたかった」という軽薄な気持ちだった。
もしシモンさんが来られていたら、そのときにはきっと下手なパンを辛辣なコメントでフルボッコされていたに違いない。それでも会ってみたかったと心の底から思った。衝撃的だったBRUTUS登場で心を鷲掴みにされたぼくにとって、シモンさんはアンチヒーローと化していた。

このCasa BRUTUSを読み終えた後に作りはじめたパンがある。
というより、読んだことがきっかけで作りはじめたといった方が正しい。
それがパン・ド・カンパーニュ・ルヴァンだった。
「パン・ド・カンパーニュ」という名のものは以前から作っている。それは前日のフランスパン生地を発酵種として加えるクセのない、日本人にも抵抗なく食べてもらえるパン・ド・カンパーニュだった。
対し、新しく作りはじめたパン・ド・カンパーニュは種を起こし、毎回少量の種を残して継ぎ続ける酵母のパン・ド・カンパーニュ。

店に2種類のパン・ド・カンパーニュを並べることになったため、ぼくは新しく作った方を「パン・ド・カンパーニュ・ルヴァン」という名称にした。
こちらは種を継ぐので酸味のあるパンになる。トラディショナルなパンではあるけれど、クセのあるパンなので京都という土地柄や時代を考えると到底売れるとは思えなかった。そもそも普通のパンでさえ売れずに困っている店で、こんなパンが売れないことは火を見るよりも明らかだった。

それでもプライスカードに「酸味があります」とだけ書くと、ただでさえ少ないお客様が本当にいなくなってしまうと危惧したぼくは、「独特な芳香と少しの酸味が・・・」なんて書いてみたりもしたけれど、それも無駄な抵抗だった。
売れないから1日3個しか作らないけれど、それでも残る。そんなパンのために種継ぎは続けるのだから、これほど効率の悪いパンもなかった。

当時よく「ABC分析に当てはめたら真っ先に消えるパン」と自嘲しながら作っていたものだった。

つづく

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