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ぼくとフランソワ・シモンさんの15年。 14.
※ こちらの内容は、ウェブサイト(現在は閉鎖)にて2016年~2019年に掲載したものを再投稿しています。内容等、現在とは異なる部分があります。ご了承ください。
マガジンハウスさんの話によるとシモンさんは既に東京へ移動されていて、ぼくが大阪のマガジンハウスさんへ送った手紙(FAX)を目にされたスタッフさんが東京の編集部へ転送してくださったらしい。
電話は、その手紙に対するシモンさんからの伝言だった。
「明日には、シモンさんがパリに帰られます。もしカンパーニュを送っていただき、明日の午前中に東京のマガジンハウスに届くのであれば、『そこまで言うなら食べましょう』とシモンさんが言っています。ただし、ブラインドテイスティングのランキンングに入れることはできませんが、どうされますか?」
答えるまでもない。ぼくはすぐにパン・ド・カンパーニュ・ルヴァンを送った。
すると翌日、またマガジンハウスさんから電話があり、すぐに替わった相手は何とシモンさんご本人で、送ったパン・ド・カンパーニュ・ルヴァンの感想を伝えるための電話だった。
挨拶程度の言葉を交わした後、シモンさんからの一言は「Excellent !」だった。
とにかく嬉しかった。ぼくは片言のフランス語で「ありがとうございます!ぼくはとても満足です」と繰り返した。
数日後、校正のためにマガジンハウスさんから送られてきたCasa BRUTUSの原稿を目にした瞬間、ぼくは本当にひっくり返りそうになった。
東京と関西に分けたそれぞれのランキングで、うちのクロワッサンが関西の1位になっていた。
そして、Casa BRUTUS 2001年 vol.12が刊行された。
ブラインドティスティングの結果は、クロワッサンが1位、バゲットが4位、そして「間違ったと仰られるカンパーニュも上位に入っていますから」と言われ、余計に釈然としなくなったパン・ド・カンパーニュは4位だった。
やはり悔やまれるのはパン・ド・カンパーニュで、これがパン・ド・カンパーニュ・ルヴァンだったら・・・と思わずにはいられなかった。
もしシモンさんが来られたときに驚かせ、一矢報いることができるとすれば、それはやはりパン・ド・カンパーニュ・ルヴァンだと思っていたし、この売れないパンを2年間も作り続けてきたぼくのモチベーションの源泉は、間違いなくシモンさんだった。
それでも関西のカンパーニュ1位にぼくがとても納得をしていたのは、それがあの福盛先生(青い麦)のカンパーニュだったから。
いや、やはり悔しいな。もしこのブラインドテイスティングに参加できていたのがパン・ド・カンパーニュ・ルヴァンの方だったら結果次第では、もっと福盛先生の視界のど真ん中に入れていたかもしれなかったのに・・・と、悔しく思ったものだった。
つづく