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ビゴさんと福盛先生と、2001年のこと 2.

※ こちらの内容は、ウェブサイト(現在は閉鎖)にて2016年~2019年に掲載したものを再投稿しています。内容等、現在とは異なる部分があります。ご了承ください。

「福盛先生」とは、ぼくが最初の店を開業する前に視察へ伺い「こんなにもレベルが違うのか…ぼくには、あんなパン作れるわけがない」と完膚なきまでに打ちのめされた、青い麦の福盛先生のこと(現 パトリエフクモリ)。
福盛シェフでなく「先生」と呼ぶのは、それ以前に知り合ったお弟子さんたちみなさんがそう呼ばれていたから。

ビゴさんと初めてお会いし励まされた日から1週間も経たずして、なんと今度は福盛先生が奥さまとご来店された。
一緒に厨房で仕事をしているスタッフが「西山さん、イートインされているあの男性、青い麦の福盛さんじゃないですか?」と言うので、「福盛先生がうちなんかにくるわけないやん。似てるだけやろ」と言いつつも気になったぼくは、追加のパンを並べる振りをしながらその男性を遠目に凝視した。

どこからどう見ても福盛先生だった。

「なんで福盛先生がこんなとこにいるの?」

スタッフ「そんなのわからないですよ」

「挨拶してきた方が良いかな」

スタッフ「絶対にしてきた方がいいですよ」

「いきなり怒られたりしないかな」

スタッフ「怒られないでしょ」

ぼくは恐るおそる傍へ行き、声を掛けてみた。

「あの・・・人違いでしたら申し訳ございません。福盛先生でいらっしゃいますよね?」

「違う」

「えっ・・・青い麦の福盛先生では?」

「違う。わしは”福島”や」

福盛先生の奥さまは笑われている。
ぼくは、ここはとりあえず笑っておいた方が良いのか?と逡巡したものの黙殺することにし、「失礼致しました」と困惑したまま厨房に戻ろうとしたとき、

「ちょっと待て。パン切り包丁を貸してくれ」

やっぱり福盛先生やん

パン切り包丁を手渡すと、黙ったままテーブルの上でクロワッサンとくるみパンを半分に切り断面を凝視、香りを嗅がれ一言。

「お前どこで修業した?フランスか?」

「いえ、パンは京都のフリアンディーズさんだけです。落ちこぼれでした」

「旨い」

「えっ!?」

「ええパンや」

「でも全然売れないんです。実は数日前、ビゴさんがお越しになられて同じことを話したんですが、本当に売れなくて店が潰れそうなんです」

福盛先生は店内を見回され

「お前、この内装はパンを売る気のない内装やろ。わしと一緒や(笑)」

福盛先生から「わしと一緒や(笑)」と豪快に笑われたのは嬉しかったけれど、売る気がないなんてそんなつもりはもちろんない。ただそれくらい当時としてはパン屋らしからぬ内外装であり、「この手のパンは(ハード系)本当に売れないでしょ、うちも大変だったの」と奥さまも仰られていたように、関西ではまだまだハード系のパンはマイナーだった。
この頃の青い麦さんは、ぼくが衝撃を受けたあのスタイルを変更され、もっと多くの方々に受け入れられるよう、わかりやすいパンの構成に変更されていたらしい。

福盛先生はお帰りの際、ぼくに次のような言葉を掛けてくださった。

「わしはもう止めてしもたけど(ハード系のスタイル)、こういう店やパンを作るやつもおらなあかん。だからお前は諦めずに頑張れ」

つづく

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