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ぼくとフランソワ・シモンさんの15年。 11.
※ こちらの内容は、ウェブサイト(現在は閉鎖)にて2016年~2019年に掲載したものを再投稿しています。内容等、現在とは異なる部分があります。ご了承ください。
いつか、シモンさんがうちの店にも来られるかもしれない。もしそのときに、これがないと "一矢報いることができない" から
いわゆるパンや食の専門誌でないBRUTUSやCasa BRUTUSは、インテリアやライフスタイルなどのオシャレ雑誌であり、シモンさんの企画は連載というわけでもない。不定期な上に、第三弾が掲載されるまでにも2年という年月が経っていた。
だからガイドブックのような定期的なものでなければ、ぼくにはエンタメ色の強い打ち上げ花火的な企画と映っていた。
ミシュランガイドが UFC(総合格闘技)なら、シモンさんの企画はプロレス的だ。いや、ロープに走らなければ空中殺法もせず、本気で蹴り、関節を決めにいくところはUWFやリングス、パンクラスに近い気もする。
もちろんこれはBRUTUSやCasa BRUTUSに登場される場合であって、シモンさんご自身がパリで刊行されているガイドブックは、きっとUFCのようなリアルファイトなんだと思う。
ということは、プロレス(雑誌の企画)でありながらセメント(真剣勝負、この場合は批評)を仕掛けてこられたときのために、ヒールホールドや関節蹴りの準備(ルヴァン)を本気でしていたぼくの心中は、もう完全に全盛期の前田日明さんだった。
しかしガイドブックでもなければ、次があるのかさえわからない、あるとしても何年後なのかもわからない企画をあると信じ、売れもしないパンを作り続けたのは我ながら正気の沙汰とは思えない。
その後、Casa BRUTUSはもちろん、この企画がまたBRUTUSに移ることもあると考えたぼくは、この2冊が出るたびに "フランソワ・シモン" という活字をくまなく注視した。
ところが西川シェフの大活躍を目にして以来、1年を過ぎてもシモンさんの名前を見ることはなかった。
相変わらず作り続けていたパン・ド・カンパーニュ・ルヴァンは、目立つ場所に置こうが、いくら試食を出そうがおもしろいくらいに売れなかった。
残ったものを捨てるだけではもったいないと思い、苦肉の策として店内の飾りパンにもしてみたけれど、この飾りパンが毎日新しいものに替わるだけだった。
企画第三弾から1年以上過ぎた2000年の暮れ、ついにCasa BRUTUSの表紙にシモンさんの名を見つけたものの愕然とする。
あのF・シモンが緊急来日!日本に本物のジビエはありますか?
つづく