ぼくとフランソワ・シモンさんの15年。 6.
※ こちらの内容は、ウェブサイト(現在は閉鎖)にて2016年~2019年に掲載したものを再投稿しています。内容等、現在とは異なる部分があります。ご了承ください。
1997年、とても辛辣なことで有名なパリのレストラン批評家 フランソワ・シモンさんを日本へ招いての、とてもとても過激な企画がBRUTUS誌上で二度に渡り掲載された。
第一弾で東京の高級フランス料理店、いわゆるグランメゾンが対象となり、第二弾では東京・関西の7000円以下のフランス料理店がその対象となった。
これほど大掛かりで刺激的なものを1年の間に二度も企画されたということは、その是非はともかく、とても反響が大きかったと想像する。
人気企画とはいえこれほど過激なものはきっと波風も立てるだろうし、企画する側にとっても諸刃の剣とぼくには思えた。
次もあるのか、あるとすればその対象は何になるのか。
7000円以下のフレンチが対象となった時点で、シモンさんご本人がその難しさに言及されていたことを考えると、それ以下の単価であるビストロやカフェなどが対象になるとは考えにくい。
そこで翌年にまた東京の高級フランス料理店に戻り(あるいは関西も加え)、同様の企画をされるのではと、ぼくは予想をした。
特に東京なら1年もあれば、次から次へと目新しいお店がオープンするだろうからネタという意味でも枯渇することがないと思えた。
ところがぼくの予想は外れ、その後シモンさんの名前や姿を目にする機会はなくなる。
ぼくが久しぶりにシモンさんを目にしたのは、やはり本屋さんで平積みになったCasa BRUTUS(1999年4月)だった。
この企画が BRUTUSからCasa BRUTUSへ移行したのも驚きだったけれど、ぼくにとって何よりも衝撃だったのは、表紙に写るシモンさんの姿だった。
全身白い装いで椅子に座り肘を立てた右手は顎に添えられ、そして左腕には5本のバゲットが抱えられていた。
「あのフランソワ・シモンが来日徹底調査 日本のパンを食べ較べる。」
予想外だった。
まさか、パンに来るとは・・・青天の霹靂
ぼくが最初のル・プチメックを開業して半年後のことだった。
つづく