桃の冷たいスープ 前編
フォン・ド・ヴォライユとは鶏の出し汁のことで、ぼくがお世話になったお店で一番よく仕込んでていたフォンだった。
ソースに、いろんなスープの素に、ものによっては少量のゼラチンを加え前菜に使用したりと、味や旨味はあるけれどクセがないので汎用性が高い。
作るときには、お店にある一番大きな寸胴で鶏ガラや香味野菜などを約4時間ほど煮出す。これがなかなか骨の折れる仕事だけれど、漉す頃には本当に良い香りがして、いつも作りながらこう思っていた。
これでラーメンを作ったら、美味しいやろなぁ
フレンチの料理人が持てる知識と技術を駆使して本気でラーメンを作られたら、とても美味しいものになるだろうな、と思う。またフォンを作っている厨房にいれば、料理人でなくともきっと同様のことを発想されるに違いない。
一般的に「スープ」と聞いて想像されるのは、料理としてのスープだと思うけれどデザートにもスープはある。その場合、いちごやメロン、桃など果物を使用したものが多い。その作り方は、シロップと一緒にジューサーにかけたり、ヨーグルトやハチミツ、レモンなどを一緒に混ぜたりとスムージーやジュースに近いものが多い。もちろん、これはこれで美味しいデザートになる。
ぼくがお世話になったフランス料理店でも夏になると「桃の冷たいスープ」を作っていた。ただし、これはデザートでなく「料理として」のスープ。つまり、コースの最後でなく、前菜と魚料理の間に出てくる一皿になる。
これを初めて作るところを見たときには驚いた。
夏のデザートを作るのだろうと思いながら指示通り桃の皮を湯むきすると、なんとお師匠さんはそれをコトコトと沸いている鶏のフォンの中へ次々と入れられた。
口にこそしないものの、ぼくの心情は「なりませぬ、師匠。お気を確かに」である。
まだ素人よりで未熟だったぼくは、気持ち悪いとしか思えなかった。
それを見透かしたかのようにお師匠さんから「気持ち悪いと思ってるやろ」と訊かれたので、正直に「はい、気持ち悪いです」と答えた。すると「オレも最初はそう思った。ま、楽しみにしとけ」とのこと。
しかし、「鶏のだし汁+果物」という概念が皆無だったぼくには、美味しいものになるとはにわかには信じがたい。寸胴の傍らで別の仕込みをしていても否が応にも気になる。沸いているため鶏ガラの香りが強く漂うだし汁にプカプカと揺れる桃の姿は、やはりどう想像しても気持ちが悪い。
そんな疑念を抱きながら、ぼくは完成したものを味見させてもらった。
つづく