ぼくとフランソワ・シモンさんの15年。 13.
※ こちらの内容は、ウェブサイト(現在は閉鎖)にて2016年~2019年に掲載したものを再投稿しています。内容等、現在とは異なる部分があります。ご了承ください。
テーブルに視線を向けると、サインにしては明らかに文字数の多いことが遠目からもわかった。
あれ・・・褒めてくれてる?
ぼくにはわからない単語もあれば、達筆過ぎて判読すらできない文字もあるけれど、褒めてくれていることはわかった。
それに、こんなに手の込んだ小洒落たサインを書いてくださっているくらいなので、印象は良いのかもしれない程度には思っていた。
ぼくには判読することができないため、弟弟子にあたる在仏10年以上になる伊藤くんとその奥様である華奈さんにお願いをし、翻訳していただいた。
彼らでさえ「達筆の為、一部アルファベットがわからず近所の友達に電話で聞きました!」とのことだった。
伊藤くん、華奈さん、本当にありがとうございました。
親愛なる君に ここで
サクサク食感のある
シャンパーニュのように細い泡のような
美味しそうないいにおい
これがパン屋ってものだろう?
(oui)
喜んだのも束の間、翌日にはまた問題が起きた。
「改めてマガジンハウスの者が買いに来ますから」とスタッフさんから言われた翌日の夕刻、ぼくは狭い厨房で折りたたみ椅子に座ったまま寝落ちしていた。
この頃はまだ夜も働いていて、ずっと灯りの消えない厨房を見ては心配されたご近所の方から「大丈夫?何交代制なの?」と声を掛けていただくような状態だったので、寝るつもりはなくても少し気を緩めると数秒あれば眠れるような状態だった。
販売スタッフの「西山さん、閉店時間です」という声に起こされ、反射的に売り場へ飛び出したぼくは、パン・ド・カンパーニュ・ルヴァンの置いてある棚に目をやった。
おかしい・・・
一瞬それが何なのか判然としなかったけれど、販売スタッフに「マガジンハウスさん、来られたよね?領収書を見せて」と確認をすると、その日の日付で切られた領収書は確かにあった。
「何を買って行かれた?」
「クロワッサンとバゲットとカンパーニュを・・・」
「!!!」
その刹那、ぼくは別の名称にすべきだったと後悔の念に駆られた。
マガジンハウスのスタッフさんが買って行かれたのはパン・ド・カンパーニュ・ルヴァンでなく、日本人向けに作っていたクセのないパン・ド・カンパーニュの方だった。
あのパン・ド・カンパーニュでは無理だ・・・
意図するものと別のものを買って行かれたぼくは困惑した。
今できることはといえば、駄目元でマガジンハウスさんに「そっちじゃない」と伝えることだと思い、電話をかけてそれを伝えた。
しかし、丁寧に応対してくだっさった女性の返答は、正論過ぎるほど正論だった。
「もうブラインドテイスティングは終了しました。同じときに同じ場所で食べ較べをしないとブラインドテイスティングにはなりませんから、公正を期すために特別にやり直すということはできません」
そりゃそうだ、と思うものの、ぼくにすれば売れもしないとわかっていながら、この日のために2年間も作り続けてきたのに、という割り切れない思いもある。
そして、この女性スタッフさんはこうも言われた。
「シモンさん、プチメックさんのことをかなり気に入られていましたよ。ブラインドテイスティングの際も終わると同時に、マガジンハウスのスタッフに『プチメックのパンは、どれだったんですか?』と訊いて来られましたから。
それにまだ順位はお教えすることができませんが、間違ったと仰られるカンパーニュも上位に入っていますから」
いや、いや、いや、それなら余計に悔しいでしょ、と思ったけれど今更どうすることもできない。そこでぼくはこの夜、急いで手紙を書き、大阪にあったマガジンハウスさんのFAX番号宛へと送った。
内容は正確に覚えていないけれど、ぼくがどういった想いでパン・ド・カンパーニュ・ルヴァンを作ってきたのか、といったことをコピー用紙の紙面いっぱいになるほど書き、「せめてシモンさんに食べてもらえないか?」といったことを文末に書いた記憶がある。
すると翌朝、マガジンハウスさんから電話がかかってきた。
つづく