見出し画像

幼なじみ

もう何十年も変わらずに静かな空気で、体の裏側まで覗かれているようなまっすぐな眼差しで、相変わらず落ち着かない。

視線が鋭いわけではない。むしろ目は俯きがちで、時々上目遣いでこちらを見る。シャイな目の向け方から、目があう事が得意ではないことがわかるけれど、時々向けられる視線はまっすぐで、凛としている。

お互いに言葉が多い方ではないので、静かな空間が流れる。彼女は何かを考えているようで、静かになった間を気にしていない。一方私は、間が気になって仕方がない。喋って埋めようにも、ちょうど良い言葉を選べない。つまらない言葉を言っても仕方がないことはわかる。だからと言ってその束の間の時間、頭を巡らせて言葉を選べるわけでもなく、目の前にある空気を見ている。居心地はいい。このまま落ち着いていいという空間を提示されている事実に少し慣れない。

コーヒーを前にしながら落ち着かない空間でお互いの近況を話す。浮世離れした雰囲気を放つ彼女が今ハマっているのは韓流ドラマだ。そのバランスが面白い。推しの俳優の魅力をポツポツと教えてくれる。推しというものに縁がない私は、このての話を遠いところから眺めるように聞く。彼女の推しへの熱意はどこから来るのだろう?とぼんやりと思う。私が同じ場所にいないことを全く意に介さないような、きっとどんな相手でも話を変えないようなスタンス。

一緒に過ごした時間はわずか3年ほどで、別々の道を生きてからもう何年も経っているというのに、何も変わらないという動かない存在感を放つ。何も変わらないのだと意識していることはなく、ただ目の前にある変わらないことを自然と受け入れている。変わろうとしない諦めなのかもしれない。諦めであったとしても、その存在に私は救われる。あなたにとって必要であるという証明をしなくても大丈夫。許されていると勝手に感じる。それなのに、私が今いる場所は脆く危うく、私たちが一緒にいた時とは随分と遠くまで来てしまった。バスに揺られて自宅に戻りながら、もう戻れないその距離の重さを感じる。

サポートしていただけると喜びます。 いただいたサポートは一生懸命生きることに使います。