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移動すること
社会人一年目の、辛く苦しい勤務時間に、なぜか旅行をしている時を思い出すことがあった。
うまくいかない仕事とプレッシャーのただ中にいると、ふと、旅行先でのレンタカーの車内の匂いや、車窓から見た泡立つような日本海が思い出されて、胸がぎゅっと痛くなる。
あー、あの場所へ今すぐ行きたい、と心ここにあらずの状態になっていた。
押しつぶされそうな心が無意識に潤いを求めていたのかもしれない。
実際の旅行中は終始ずっと伸びやかな気持ちというわけではなく、重い荷物に辟易したり、なかなか到着しないバスにイライラしたりするのだけど。
旅行の醍醐味は観光地の魅力もさることながら、多くの場合日常からの離脱だと思う。
単純に場所を変える、移動をする、ということが、自分にとってどれほど気分に影響があるか。
離婚が決まって鬱々とした日々に、行先を決めずに電車に乗り、知らない海辺の街に降り立った時も、そこにある新しい匂いと風景から、自分の中に新しい気分がうまれるのをひしひしと感じた。
日常に張り付いていた憂鬱が晴れて、久々に清々しい気持ちになったこと、あの時、移動による心の持ち用の変化を体感した。
あの場所は一生忘れることはない。
あれは近くて短い時間だったけれど、確かに旅だ。
引っ越しという移動も、離婚の痛手を少しやわらげてくれた。
結婚している時は、長期休みがあればすぐに旅行を計画して、出かけていた。
雑誌で旅行特集を眺めては、次に行きたい場所をチェックしていた。
ここではない場所でのんびりしたい。
素敵な風景の中に身を置きたい。
そう思って旅行の計画をする。
けれど、子どもが生まれ、離婚してから急激に減った。
日常に追われ、旅行どころではなかった。
旅行は毎回楽しみにしていたはずなのに、2ヶ月前に両親から1泊2日の旅行に誘われた時は、むしろ煩わしいとさえ感じた。
自宅でくつろぎたい。
自宅にあれこれやり残して出かけることに気がひける。
そのことが気になって気が休まらないだろう。
出かけることより、やり残したことを済ましてしまう方が気が晴れるのではないか。
旅行、面倒だな・・・
そう思いながら出かけた両親と我が子との家族旅行だった。
海を望む温泉街は賑わいがありながら混みすぎず、過ごしやすかった。
時々晴れ間が覗く曇り空。
ちょうどいい。
海で遊び、温泉に浸かり、美味しいご飯を食べて1泊する。
今回の目的である新幹線も、海遊びも我が子は大いにはしゃぎ、大人たちは満足である。
あっという間に過ぎた1泊2日の帰り道、母は終わってしまう旅行をしきりに嘆いた。
終わっちゃったねぇ。
明日からいつも通りねぇ。
旅行は楽しかった。
でもやはり、日常へ帰ることは私は苦ではなかった。
あのまま旅行が続く方が苦しくなりそうだ。
整った部屋も、ノリの効いたシーツも、贅沢なビュッフェも1日で十分。
雑然とした自宅の、いつものお布団といつもの食事を思い浮かべると落ち着く。
それでも、今回の旅行を、いつか窮屈な状況に身を置いた時に、心が救いを求めるように、ふと思い出すのかもしれない、と思った。
思ったよりも海水が綺麗だったことや、
海を望む山の上の美術館は、風が強くて良い匂いだったことを。
数寄屋造りの家の戸をカタカタと揺らす風の音を。
バスで我が子に席を譲ってくれたご夫婦や、
島に唯一ある学校の校歌の、壮大な歌詞を。
足に絶え間なく、しかし毎回違う表情でやってくる波のこと。
島へ行く船がひどく揺れて吐いたこと。
たまたま見つけて親子で寝そべったハンモックで感じた生ぬるい風を。
もしくは今、言葉にすることができないことをふと思い出すのだろう。
旅行の目的としていたことよりも、予想外の出来事が楽しい。
旅行中の出来事も、思い出される記憶も、
思いもよらないことが心に効いてくる。
今わからなかったとしても、記憶にストックされて、必要な時に思い出す栄養分となっているのかもしれない。
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