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食卓が思い出せない

結婚生活2つ目の家でいったいどんな暮らしをしていたのか全然思い出せない。
何を食べていたのだろうか。あまり料理をした記憶がない。
週末には近所の焼き鳥屋さんや、中華料理、ベトナム料理を、好んで食べに行った。
外で食べたことは覚えているけど、家での食事が思い出せない。

朝はパンを食べてたのだろうか。
それとも、納豆ご飯だったか。
そもそも、キッチンに立っていたのだろうか。
覚えていない。

駅前のコンビニで、タバコを吸っていたこと。
二人暮らしには広すぎて、そしてほとんどの時間を1人で過ごしたガランとしたリビング。
朝送り出した後に床に突っ伏して大泣きしていたこと。
産婦人科の帰りに川沿いを泣きながら1人で歩いたこと。
とにかく苦しかったことばかり覚えている。

結婚して最初の家での食卓はよく覚えている。角部屋のよく日が当たる食卓だった。
仕事が忙しかったけど、週末には料理をしていた。彼も時々作っていた。

結婚生活最後となる3つ目の家は、ひたすら料理をした。
壊れている暮らしを食でつなぎとめようと、必死で、作った。
多すぎる朝ごはんを、たくさんの食器を使って並べた。
夕飯はほとんど一緒に食べなかったので、朝ごはんに全力をそそいでいた。
今思えば、不自然で無理が詰まった、苦しい食卓だ。

終わりを感じながら私たちはそれを囲んだ。他に打つ手がなかったから、毎日、過剰な朝ごはんを無理やり食べていた。
お互いの努力が痛々しい。
努力の甲斐なく、もしくは努力の方法が間違えていたのか、結婚生活は終わった。

2つ目の家ではもしかしたら思い出せないのではなくて、一緒に食卓を囲むことがほとんどなかったのかもしれない。
今となってはどうでもよいことなのだけど。

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