未来とみらいとミライ。
星野源さんの曲に「未来」という曲がある。
浜辺美波さんや橋本環奈さんも出演のNTTdocomoのCMでも起用された曲とあり、聞いたことがある人も多いだろう。
「未来」と聞くと、どうしても喜びや希望、キラキラと輝く何か…みたいな、今より良いイメージを期待として持ってしまうけれど、この曲はそんな明るいイメージだけではなく、なんかちょっと哀しさみたいなものも含んでいるようにも受け取れる。
"今"を生きる私たちは、日々の生活の中で何度も追い越され、取り残され、"空になる"ほどの勇気を持って何かに立ち向かう。そこまでして生きている、これはどうしてだろう?
なんだか不思議な気持ちになる曲だ。
この曲は、東日本大震災から数日後にできた曲だそうだ。近場に居るとか居ないとか関係なく、日本中が言葉に出来ない悲しみと不安に襲われていた頃。エンタメを供給することが適切なのかどうか、みんな何かを見計らっているような、そんな雰囲気だった。
同じように星野さんも苦しんでいた。
星野源 (2/6) - 音楽ナタリー 特集・インタビュー
このインタビューの中で
何を作るべきか、悩んで悩んで悩み抜いて。でも、それで出た答えは、3月より前も後も変わらない普遍的な、どっちにしろ書いていたであろう「大事なもの」を歌うってことだったんです。何十年前、何百年後の人が聴いても、多分この問題は変わってないんだろうなっていうところに行きついたんですね。
こう話している。
今、過去のリリース曲を歌えば、歌声もあの時とは違うし、時代も変化しているから、これまた違った受け取り方になるかもしれないし、そのままかもしれない。でも、星野さんが伝えようとした"どっちにしろ書いていたであろう大事なもの"は変わらない。
まさにこの通りではないか!とインタビューを読んで思った。私のもの…(にやり)
時代という枠にとらわれない、「変わらないもの」を持ち続け、生み出してくれたからこそ、2024年を生きるわたしたちにも響く。
「1秒先」も未来。未来とは、今よりほんのちょっとだけ先にある時間のこと。ただそれだけのことだと、そういうことをこの曲は歌っているのではないだろうか。
同時に「こんなはずじゃなかったのに」「もっとこうしたらよかった」と後悔の念ばかり抱えてしまいがちだったあの時間にーーー。別れの言葉も言えぬまま、会いたかった人にも会えなくなったという人にも。形には残らないかもしれないけれど、一緒に見た景色や、大切な誰かに言われた一言。その"たった一つだけ"を抱えて、抱き締めて生きていく。そんな過去にも触れ、過去を否定せず…むしろ肯定し、「これから」へ時は進んでいくのだと、こうして歌うことで言ってくれたような気がする。思い描いていた未来とは違うものかもしれないが、それでもいいのだ、と。
この文章を書きながら、ふと「光の跡」の歌詞が頭に浮かんできた。
キラキラと水面に反射する夕日
雨上がりに空に浮かび上がる虹
はしゃぐ子のキラキラした笑顔
ほんの一瞬のこんな出来事は、そんな貴方と、大切な人との"たった一つだけ"の思い出になるかもしれない。だからこそ、残すのかもしれない。増やしていくのかもしれない。
星野さんの曲は、実に不思議なもので、聴く時の時間帯や感情によって聴こえ方(速さまで違く聴こえるからね)が違ってくる。誰にでも寄り添えるように作ってあるねーすごいなぁと想っていたけど、たぶん…
曲の方から私に歩み寄ってきてくれている
と思う。私の猫背で丸まった背中も、誰かのピシッと伸びた背中にも、そっと手を添え、さすってくれるような、そんな感じ。
30年後、「未来」はどんな風に聴こえるだろうか?また楽しみが増えた。