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SNSとの向き合い方


昨年の8月30日、星野源さんが個人でInstagramの個人アカウントを開設した。ストーリーズへのGIFの使い方も可愛らしく、次元は違うけれど何だか身近に源さんを感じることが出来るツールの1つになった。

それと同時に私は、長年居続けたこのSNSとの付き合い方を考えるようになった。TwitterやFacebook、Instagramそれぞれを使い分けていく中で、どのツールでもぶち当たるのが「行き過ぎでは?」と思うコメントの数々。
俗に言う誹謗中傷と言われるものだ。

つい先日も、ネットでの誹謗中傷が原因で亡くなった方がいる。
これを機に、という言い方はおかしいかもしれないが、私自身のことも踏まえてちょっと考えてみた。


まず、ネット上での「批判」や「批評」について。
批判:①物事の可否に検討を加え、評価・判定すること
②誤っている点やよくない点を指摘し、あげつらうこと
③(哲学)人間の知識や思想、行為等について、その意味内容の成立する基礎を把握することにより、その起源・妥当性・限界などを明らかにすること

批評:事物の善悪、優劣、是非などについて考え、評価すること

(大辞林 第三版より)

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ネットの世界では、批判や批評も度が過ぎなければ必要なのだと思った。例えば食べログなんかは、多少の批評がないと成り立たない。批判になるのでは?と萎縮しすぎると、ネットの機能が失われてしまう。

民意の総称のように語られている「批判」というものは、批判をしている本人の主観の要素が強いにも関わらず、本人や周囲の人が「より客観的だ」「みんな言ってるから正しい」と錯覚してしまっているのは、現状としてあるのではないかと(勝手に)思っている。


続いて話題となっている誹謗中傷。
誹謗:他人の悪口を言うこと
中傷:根拠のない悪口を言い、他人の名誉を傷つけること

よく見かけるコメントの中に「表現の自由だから、何を言ってもいい」と言ったものがある。誰かが誹謗中傷している(と自分で判断した)時には、その「誰か」を誹謗中傷してよいというルールは社会にはない。表現の自由というのは決して無制限ではないと思う。
政治家だから、芸能人だから、中傷してよいということではない。

SNSの普及によって、沢山の芸能人が情報を「自ら」発信できるようになった分、その矢面に立たされることも増えている。


高畑充希さんInstagram

https://www.instagram.com/p/CAxdBblnfrm/?igshid=1r187oph0q0ql

芸能人だって人間。めちゃくちゃ傷付くのだ。
発信力があるので、完全に批判や中傷の声をなくすことは出来ないと思うが…これ以上傷付くの人を見たくないなーと思ったり。
表現を生業とする人々にモラルや常識を求めるのであれば、私たち「受け取る側」も情報リテラシーをもって応援していくべき。挙げ足をとるように、発される一言一言を批判したり、人格否定まですることは、本当にみっともない。
少なくとも厳しい意見を言う以上は、名前を出してでも言えるのか?そのくらいの覚悟は必要をもってコメントをしているのか?


人間は、周囲(家族や友人)に判断を委ねて生きている。「それは嘘でしょ」と言われると、嘘だと信じてやまない。
今はそれが、SNSで繋がる人がどう思っているか、ということで真実かどうかを判断するようになってきている。
画面越しの、顔の見えない相手への信頼を全面に出し、「ここは素でいられる」「ここなら何でも言える」と言ってしまうのは危険である。あなたが話せる(さらけ出せる)「何でも」はほんの一部。誰に、どの心の部分を開いていくか、の線引きをしていくことが、うまくSNSと付き合っていく上で大切なことだと思う。

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「その人がどういう言い方をしたのか、その前後にどんな言葉があったのか。その前にどんな言葉があって、その言葉に至ったのか。で、印象って180度変わると思います。そこでむやみに怒らないために…それに引っ張られて自分のエネルギーをたくさん使わないために出来ることって、想像することだったり…ソースというか、元のことを「分かる範囲で分かる、調べる」ということが結構大事なんじゃないか、と。それがリテラシーというものなんじゃないかと思います。」
(2019.06.04 星野源のオールナイトニッポンより)


簡単に情報共有(シェア)できるツールだからこそ、正確性の確認は必要だと思うし、SNSとの距離感は自分なりにとっていく必要もあると思う。

うまく使えば、本当に楽しいもの。
ずっと使い続けることができるように、マナーとモラルを守っていきたい。

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