MIU404と過ごした夏②
9月4日に最終回を迎えたMIU404。あれから3日も経つのに、収まるどころか余計に膨らんでいる興奮と余韻。それだけ素晴らしすぎるドラマだったよMIU404!
偏見に満ちた個人的な感想を残しておきます。
演技合戦
なんと言っても綾野剛の演技。完全に伊吹藍だった。8話で恩人ガマさんが逮捕されるシーンで、子どものように泣きじゃくる姿。かと思えば最終回で志摩を想い、静かに流す涙。伊吹の感情がちゃんと伝わるの…まじでやべぇなこの人…って毎回思ってた。笑
星野源もそう。でも、源さんについてはまた別記事で熱く語らせて、そう!文字数収まんないから。
そしてジョーカー的に出演のゲスト、菅田将暉。未だにそうなんだけど、まだ菅田くんへの嫌悪感半端ないくらい、久住の怪演っぷりは腹たったわぁ。
この3人の「演技合戦」と言われるまでの生きた演技。3人とも目がやばいのな。目。
ゾクッとするくらいの恐怖を感じる目をしていたり、子供みたいなキラッキラした輝いた目をしていたり。目であれだけの感情表現出来るの、ほんとプロだわ。←何様
現実とのリンク
私たちは日々「選択」をしている。劇中でも志摩が言っていたが、大小はあるが選択の連続、繰り返し。常に分岐点に立たされている。その時の自分の小さな選択が、のちの自分の人生に大きな効果をもたらしていることも、ドラマの中でダイレクトに描いてくれた。(=バタフライエフェクト)
自分で押すスイッチ。誰かと出会うことで押されるスイッチ。星野さんが「出会いは未来」だとよく言うけれど、本当にそうだなぁと改めて思った。
自分にとっては嫌な出会いだったかもしれないことが、スイッチとなっていて、プラスに転じているかもしれない…
「なんかテンション上がってきたぁ!!」ってなりません?
あと、私が1番恐ろしくなったのは10話。
爆破のフェイクニュースが、久住の仲間から広まったにしても、事実が確認されないままあれだけ広まったこと。
現実でも間違いなく起きていること。
「それほんと?どこがソース?」なんて投稿がありふれている。自戒自戒自戒…だったなぁ。
安易な拡散はしない。これは定期的に振り返る必要あるかも。
久住という存在
不気味すぎるその存在に、4機捜の皆さんが振り回されていたけれど、同じように私も色んな詮索をして…こうなんじゃないか?と久住についての考察をしていた。
最終回で久住はこう言った。
「何がいい?不幸な生い立ち?歪んだ幼少期の思い出?虐められた過去?どれがいい?俺は、お前たちの物語にはならない。」
まるで、様々な憶測をし、久住の生い立ちを不幸な物語として組み立てていた私たちにも言ったかのような一言。
実世界でもそうだ。
罪を犯した人々へ、エンタメ的に背景(物語)を付加して報道するメディア。それを求めている私たち視聴者。実世界への注意喚起のようで、胸に訴えかけてくるようなセリフだった。私たちが見ているのはほんの一部の情報でしかないのに、あたかも全て分かったかのような表現をしてしまう。
しかし、現実ではそのエンタメ的に造られた物語だけが拡散されてしまう。その恐怖は、広められた方にしか分からないだろうけど、ドラマの中で、メロンパン号がその標的となることで、恐怖に戦く伊吹と志摩の表情で、その恐ろしさを見事に表している。
コロナ禍で、撮影も2ヶ月中断し、もしかしたら放送中止も有り得た時代。
話数を減らしたにしても、11話も放送、しかも誰1人欠けることなく完走出来たことは本当に嬉しいし、出演者やスタッフみんなが同じ方向を向いて走り続けた結果だと思う。
最終回の最後のシーン。
マスク姿の伊吹と志摩が、「密!密!」「ディスターンス」とふざけ合う姿は、2020年も404がどこかで走り続けていることを表しており、ドラマの中に2020年を取り入れた見事なシーンだった。
この夏、MIU404というドラマと過ごした日々。コロナウイルスのせいで、楽しみにしていた「夏の思い出」は全部無くなった。ゼロになった。しかし、その辛さも悔しさも…いろんなことを、無かったことにはしなかったドラマMIU404。
この時代を「生きて、俺たちと苦しめ」
志摩も伊吹も生きている。どこかで走っている。私も頑張ろう、心からそう思えたドラマだった。
ありがとうMIU404