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*はたち

 このnoteは現在販売中のZINEに掲載した文章です。詳しくはこちらをご覧ください。(一部違うところもあります)

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小さい頃から年上に憧れていた。お兄ちゃんが六歳上だったからだろうか。家では大乱闘(ゲームキューブ)で遊んだ記憶が一番強い。カービーしか使えないわたしは勝った記憶がない。スターフォックスやドンキーコングもやったな。3人いる従兄弟も5個上、7個上、9個上。お兄ちゃんお姉ちゃんに囲まれて育った。今も年上といる方が居心地がいい。

 早く大人になりたいなーと思っていた。車に乗ってどこへでもいけるし、自分で意思決定ができる、自分の力でなんでもできる。早く大人になって働きたい。羨ましかった。わたしの家は駅から離れた街灯も少ない場所にある。田んぼの中。蛍がいるような場所。バスは1日2本。自転車で20分もあれば自分の力で駅まで行ける。それでも私は毎日のように車で送ってもらっていた。朝は自転車でいいにしても、夜になると親に心配されるから。お兄ちゃんは夜でも自転車で帰って来てたのに、女の子は危ないらしい。父は毎晩のようにお酒を飲む人だから、迎えに来てくれるのは母だった。母親は夜10時には寝る人だ。私は夜遊びをするようなタイプでもなく、放課後友だちと遊んでも夜八時には家に帰っていた。高校2年生の年末、私が好きな俳優さんたちのファン感謝祭イベントが東京国際フォーラムで行われた。帰ってくるのは日付は越えないにしても夜10時は確実に過ぎる。私は最高に楽しいイベントを最後まで楽しんだあと、友だちに「またね」と言って急いで駅に向かった。終電はまだ先だけれど、いち早く帰らなければならなかった。門限が決められているわけではない。母親も怒るわけではない。ただ私が、迎えに来てもらっていることに抵抗があった、車を運転できたらよかったのに。あとは寝るだけの格好で迎えに来てくれた母。総勢25人出演した俳優の中で母が知っているのはたぶん1人だけだ。普段私がこの俳優さんのカレンダーを買っていることも知らないと思う。会場の大きさとか、周りのお店とか、無線制御のペンライトが綺麗だったとか、そうゆうことを話した。思えば母はずっと私の親だった。週3で習っていた新体操は家から車で45分もかかる。小学校から体育館まで車で送ってくれて、練習が終わって家に着く頃にはもう寝る時間だから、車で食べられるお弁当を作ってくれていた。

 私は高校生になって社会人楽団に入った。日曜日の夜に大人たちが音楽室に集まる。中には私と同じくらいの年の子どもがいるおじさんもいる。休憩時間に10人近く集まって人狼ゲームを始めることもある。大人も遊ぶんだ……と思った。大人も好きなことをするんだと思った。母が好きなプリザーブドフラワーをやったり、リビングでヨガをしたり、そうゆう姿を見てはいたけれど、ずっと私の親でいた気がする。父は人と話をすることが好きでお酒を飲む以外は趣味のない人間だから、吹奏楽団の大人たちは衝撃だった、親でもあるけれど、親の顔をしてない趣味の時間を持っている大人たちが衝撃だった。

 よくコンサートに親子で来ている姿を見ると驚いてしまう。お母さんとは友だちみたいという子にも驚いた、母とは友だちにはなれない。どうしたって私の親だ。

一人暮らしを始めたら気が楽になった。親に気を使わなくていい。何時に帰ってもいい。周りが家賃を自分で払っていたり、学費以外はアルバイトでやりくりしているのに対して、私は親のお金で一人暮らしをさせてもらっている。ありがたいことに学費も食費+αのお金は親から支給される。私のバイト代は全て趣味に使える。

 掃除も洗濯も料理も苦ではない。好きではないけれど苦ではない。そういえば小学生の頃から長期休みの時には私とお兄ちゃんがご飯を作っていたな。掃除も洗濯もゴミ捨ても、ほとんどは母がやっていたけれど、私たちに振り当てられることも頻繁にあった。知らないうちに訓練されていたんかな。はー。自然と生活力が身につけられていた。大学生になって数ヶ月後に実家に帰ったら「こんなにちゃんと作ったの久しぶり」と言いながら夕ご飯を出してくれた。私がいなくなってからは食事が簡素化されたらしい。私と兄が毎朝戦っていたたくさんの量の朝ごはんも、ボールいっぱいのサラダもあんなに「食べないとダメ」と言っていたのに「あの量は食べらんないよねー」と母が言った。拍子抜けした私は何も言えなかった。家に子どもがいなくなった母は毎日のように仕事後にジムに通っている。プールにも入ってバタフライもやっているらしい。隔週で都内の革教室にも通っている。母は私の親から多少解放されたのかな?まだ私の就職や遠くに住む兄の様子を心配しなくてはいけないけれど、自分の時間をもてるようになったのかな。

 ずっと大人になりたかった私ははたちになった。車の免許もとって、お酒も飲めて、前よりもずっといける範囲が広がった。私が憧れていた大人はキラキラしたものだけではないことも知った。大人ってなんだろうね、昔から年上の人と仲良くなることが多かったからほとんどの人が社会人になった。高校生の頃に作家さんの講演会で仲良くなった大学生のお姉さんは、編集社に就職して数年が経つ。数ヶ月前にサイン会であったお姉さんは最初に会った時とそんなに変わらないと思う。彼氏ができたとか、仕事が大変だとか、あの頃なら絶対に聞けなかった話をするけれど、お姉さんは変わらずにお姉さんだ。俳優ファンで繋がった人たちも、最初から社会人だった人は私にとったら大人だけれど、同じクラスの女の子よりずっと話しやすいし楽しい。最初に映画館で会った時は大学生だったあの子たちも就職した。仕事をしているという面では私から見たら大人なのに、何も変わらないように思う。あの頃なりたかった大人ってなんだったんだろう。親を頼らなくても好きなところにいけるようになった、映画を観たいと思えば自分で映画館に行けて、親の確認を取らなくてもファンクラブに入れる。あの頃大人に憧れていたことの大抵が今できるようになった。私は昔から憧れだけで生きて来たところがあって、高校受験も大学受験も憧れの人がいたから頑張れた。大人に憧れていた私は、もう大人に憧れを持たなくなってしまった。これからどうしよう。早ければ後二年で働かなくてはいけない。憧れの対象がいない今、どこに向かっていいのかわからない。

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