夜中の思い出話。貧乏学生だった友達のこと
眠る前にちょっとした気分転換がしたくなったので、真夜中の手慰みにつまらぬテキストを書くことにする。
相変わらずの意味もオチも学ぶところもないとりとめのなさなので、賢明な諸姉諸兄は読まずに週末の始まりを過ごされることをオススメする。
口が寂しくなって、塩辛いものを少しだけ食べたくなり、先日、念入りに手入れをしたフライパンでチーズを焼いた。
ピッツァを焼いた時の残りのチーズがフライパンの上で広がり、こんがりと焼きあがったものを、行儀悪くそのまま箸で摘まんで口に運んだ。
期待通りの塩辛さと分量で、ひとまず口は落ち着いた。
心臓を悪くする前もそれほど頻繁に酒を飲む方ではなかったけれど(酔ってしまうと本が読めないので、自宅で酒を飲む習慣はない)、いかにもツマミのようなものがあると、バーボンソーダの一杯くらい飲みたくなる。
1年のうちに酒を口にする日が10日もあれば多い方の僕ですらそうなのだから、習慣的に呑む人なら迷うことなく冷蔵庫からビールを取り出すんだろう。
それにしてもフライパンで焼いただけのチーズってのは、見た目はなんとも貧乏くさい。駄菓子屋で子供が喜んで食ってた菓子みたいなシロモノなのだから、美味けりゃそれで良いんだけれど。得てしてチープなものって、時々妙に美味しく感じる時があるし。
貧乏くさい食べもので思い出した。
まだ携帯電話など世の中のどこにもなかった頃の話だ。
千葉の市川に専門学校に通うやつがいて、そいつがまあ生活力がないというか、計画性が皆無というか、金がある時とない時の落差が激しいというか、とにかくめちゃくちゃな生活をしていた。
雑誌の特集に学生の貧乏暮らしがあったら、巻頭のグラビアページを飾るのはこいつじゃないかと思うほどで、親御さんからの仕送りまでに金がなくなり、いよいよになった時は、同級生のよしみで誰かに電話をしてこいと言ってあった。そいつの他は全員自宅住まいだったから、仲間内の誰かに電話をすれば、1週間程度飢えをしのぐぐらいの金は貸せる。なんなら食い物を分けることだってできる。
そうしてそいつは何度か仕送りが届くまでの間を乗り切ってきた。
そいつも自助努力をしなかったわけではなくて、近所にあったステーキハウスで、ありがちな「**グラムのステーキ3枚とライス3枚を30分で食べたら1万円」みたいなチャレンジに出向き、何事もなかったかのように制限時間内に完食するような努力はしていた。
ただ、なにぶん頭が悪いので、3日続けてステーキハウスに通い、3日目には「二度と来るな」と出禁扱いにされてしまって、いよいよ窮したというわけだ(生かさず殺さずで、2ヶ月に一度ぐらいしておけば良いと思うのだが、そういう知恵は回らないやつなのだ)。
かくしていよいよ切羽詰まったそいつは仲間のところに電話をして、金を借りることにしたのだが、部屋に電話はなく、そもそも公衆電話を使う小銭すらない。
部屋の隅に落ちていた10円玉を見つけたが、千葉から都内へ電話すると市外通話で10円では足りない。
「だったら都内からかければ良いのだ」と雨の江戸川を渡って、都内に入ってすぐの公衆電話から仲間の自宅へ電話をかけた。
呼び出し音に続いて聞こえてきたのは留守番電話の機械の声だった。
こちらからは連絡ができないので、仲間内で食い物と金を集めて、翌日慌てて届けに行ったのだけれど、ヤツが開口一番で口にしたのは「江戸川を渡らなきゃ電話もできない貧乏さがお前らにわかるか!」だった。
(「そんなのわかんねーよ」「八つ当たりするな、バカ」と笑われただけだったが)
挙句、後輩からは「先輩、窓際でかいわれ大根でも育てたら良いんじゃないですか」と言われる始末で、それから心を入れ替えたのか、いくらか計画的に金を使うようになり、新たに見つけた大食いチャレンジの店は月に一度しか行かないと決めたらしい。
もう35年も前の話だけれど、貧乏自慢みたいな話になった折には、いつもヤツのことを思い出す。
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