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手を動かしていたいのは落ち着きがないからだと思う

文章書きは好きだが、同じくらいあれこれと作るのが好きだ。
ホームセンターで二束三文の端材をしこたま仕入れてきては、ペン立てやペン皿を作ったり、棚や台を作ったり。
外形を作るだけで気が済まなくなれば、塗装したり、彫刻刀であれこれ彫ってみたり、ステンシルで文字を刷るなんてこともやる。
道具も好きな上に、作るための治具がなければそれも作ってしまう。
まさに「沼」。際限がない。

昨今のキャンプブームも、TV番組のリフォームやDIYものもたいそう面白く見ルシ、見ていると自分でも作りたくなってくる。
男の夢は自宅に書斎を持つことだというけれど、昔から書斎より工房の方がずっと魅力的だった。
工房が自宅にあったら、日がな一日出てこない日ばっかりだったろう。

元は木樵だった祖父が、経験を生かして材木加工の仕事をしていたので、木工は子供の頃から身近だった。
さすがに子供の身長ほどもある大きな丸ノコには近寄らせてもらえなかったけれど、小刀や皮剥きに使う両手持ちの皮剥ぎなどは小学校に入った頃から使っていた(許可が出ていた)。
6年生になった頃には直径が10センチほどの小さな丸ノコの付いた台やチェーンソーの使い方も教わって、切れ端を切るのは遊びの一つだった。

端材でペン立てやペン皿を作ったり、棚や台を作ったり。最近は落書きと称して絵も描くようになった。アイデア帳と化しているトラベラーズノートも、リフィルは自分で紙を買い、折っては綴じて、表紙を付けて使っている。まったくもって純正のリフィルには申し訳ない。

キーボードを叩くのも「手を動かす」ことではあるのだけれど、物語を作ることと、物質的な何かを作ることにはやっぱり差があって、両者の間を行ったり来たりしているのが僕の本質のようだ。
要は落ち着きがない。

医者にかかって診断を受けたことはないが、この落ち着きのなさは幾分「ADHD」的な匂いがある。今でこそ「発達障害」という名前が付いているけれど、当時は「落ち着きがない子供」とか「飽きっぽい子供」受け止められていただけで。きっと子供の頃から軽度にそういった特徴・症状は出ていたんだと思う。

自分でも飽きっぽさには自信があって、熱し易く冷め易い典型的な「B型体質」だが、結局はこれも立派な発達障害の一例でしかない。
言い訳をさせてもらえば、何かを始めてはすぐに飽きるという単純なものではなくて、次から次へといろいろなことを思いついてしまうだけのことなのである。
思いついてしまうと実際に作ってみたくなる。
うまく行こうが、失敗しようが、思いついたことが完結する前に次のことを思いついてしまうから、忘れないうちにそっちをちょっとだけ手をつけて……。
そうこうしているうちに、先にやってた方はどこかに行ってしまう。
そういうメカニズムなのである。

もちろん、全てが中途半端で終わるわけではないし、数で言ったら成否の判断ができるところまでやってみることの方が多い。
でも周りから見たときには「あいつ、また変なこと始めたよ」と思われる程度には頻繁に何かを始めるのも事実。
最近では開き直って「始めるのは得意、続けるのは苦手」と公言するようになった。

何かを作るだけではなく、グループ展の企画なども「始める」ことのうち。
単にレギュレーションを決めて、人を集めてだけではなく、もう少し周辺的なところまで広げて、大げさにしていくのは得意なようだ。
ただ、続ける意志の力が希薄というか、思いついたことが実現してしまって、結果がわかると、途端に興味が失せるのは、やはり僕の性格的な欠陥としか言いようがない。
やはり妄想の中だけで完結できる物語作りが、いちばん向いているということなんだろう。
これはこれで妙な完璧主義が顔を出して、めんどくさくもあるのだけれど。

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樹 恒近
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