五月晴れのランチビールよ
”Stay Home”の呼びかけが続く中、職場に出かけなければならない人たちのご苦労は想像して余りあるが、僕は慎重を通り越して臆病になるくらいでいなければならず、今日もこうして自宅に引きこもっている。きっと今日の最長不倒距離も10歩先のベランダになるだろう。
人との接触を最小限に抑えることが、ウイルスの拡散を防ぐ最も簡単な対策なのはわかる。それでもさすがに3週間以上、誰とも面と向かって話さないでいると、何やら禁固刑を受けた独房の犯罪者のような気分になってくる。
過去、弾圧されて投獄された政治犯というのはこんなときどうしていたんだろうかと想像をしてしまう。これ幸いに思索に耽っていたのか、限りある中で何かを書いていたのか、許される範囲で読書をしていたのか。何れにしてもいまの僕は彼らにネットと電話がプラスされたくらいの生活を送っている。独房の囚人よりは微かに自由な状態。あるいは誰にも拘束されていないのに不自由という不思議な状態。もちろん、だからこそ感染もせずに過ごせているのだが。
外の明るさを窓越しに感じると、今日のランチはどの店に行って何を食べようか、昨日はあの店に行ったから、今日はあっちの店にしようなどと考えていたことが随分と遠い出来事のように感じる。
僕は自分で料理をするのが好きだし、簡素でも自宅で作る昼ご飯で十分満足できる。でも急に人の通りが増す昼休みにあれこれ考えながら昼ご飯の行き先を考える楽しさを時々懐かしく思う。
今日も通勤電車に乗り、職場に出かけている人たちに言わせれば「だったらお前、俺と代われよ」と言われてしまうだろう。そりゃそうだ。こうしてじっとしていることが身を守ることになっているとはいえ ーー それが微かにでも社会の役に立つことになっているとはいえ、贅沢と受け取られるのは当然だ。立場が逆なら僕も同じように感じるだろう(その分、カネはないのだけれど。金と時間の両方があるのは、ロクでもないことをやってきた証拠みたいなもんだ)。
この先、ウイルスの第2波、第3波が来る可能性もあるだろうから、リモートワークは一層進んで行くんだろう。
同僚たちと「たまには良いんじゃない」などと軽い背徳感を共有しながらランチビールを楽しむなんて光景も減るのかもしれない。
5月の日差しの中、昼休みに飲むビールほど美味しいものもないというのに。これを文化的衰退と言わずになんと言えばいいのか(文化的でも衰退でもない)。