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中藤毅彦 写真展 『CHAOS SHIBUYA』

 一昨日、西新宿はエステックビルのOM SYSTEM GALLERYで、中藤さんの写真展『CHAOS SHIBUYA』を観てきた。

 2015年に林忠彦賞を獲り、押しも押されもせぬ写真家の中藤さんを友人扱いして、彼の展示を語るのも気が引けるのだが、その辺は許してもらおう。
 写真のことはもちろん、中藤さんの機材に関する博学ぶりには舌を巻く。僕はカメラについてはほとんど興味がなかったので余計だ。
 彼のすごいところは知識が機能的な部分に止まらず、歴史や経緯などにも多くの知識を持つところにある。
 だが中藤さんの本質はやはり写真。
 「なぜ撮ったか」「なぜ今か」に写真家の一番重要なところはあるのだと思う。

 そもそも僕にとっての写真は王道からは遠く離れたもの。
 写真史から暗室技法まで全部独学で学んだ邪道中の邪道だったわけだけれど、それだけに中藤さんの写真に対する考えやスタンスを見ると、僕が「ああ、これは僕が写真でやることは一つもないな」と考えるには十分だった。
 「本物の写真家ってやっぱりすげえよな」と感じた同世代の写真家の一人なのである。

 今回の展示は10年ほど撮り続けてきたという「渋谷」がテーマだったが、中藤さんが撮ってきた渋谷の変遷は僕の記憶にある渋谷の変遷とはいくらか違っていた。
 考えてみれば僕は渋谷には半世紀も前から時々来ていたわけで、街の変遷は目の端くらいでは見ているはずなのに、全然気にしていなかったらしい。それほど中藤さんの写真で写し取られた街の変遷が今ひとつピンとこない。
 渋谷は都合よく使うだけで、これまで一度として好きになったことのない場所ということもあって、記憶の中に残っている渋谷と、いまの渋谷との間にさほどの違いを感じないのであった。

 銀座線が空を飛ばなくなったとか、五島プラネタリウムがなくなったとか、パンテオンで映画を見ることも、映画の前にユーハイムでバウムクーヘンが食べることもできなくなったとか、東急プラザがなくなって、1階にあったアートコーヒーでコーヒーあんパンを買えなくなったとか、東横のれん街がなくなったせいで、売り場をぐにゃぐにゃ曲がって外に出る楽しみがなくなったとか、言い出せばキリがないほどディテールには変化がある。
 そうした形而下の変化が山のようにあっても、渋谷の本質的なところに変化はないんじゃないかと感じていた。
 昔も今もその本質とソリが合わないような感じで。

 地形が関係しているとか言ってしまうと、何やらブラタモリめいた安易さを感じてしまうのだが、僕から見ると渋谷は人間の欲や幻想、溜め息、欠落した想像力や吐瀉物がすり鉢の地形の底に集まってヘドロ化しているような気持ち悪さが拭えない。
 なんというか、粘度の高い得体の知れないドス黒いものが這い上がってくるような、生理的な嫌悪感としか言いようのない嫌な気分になってしまうのだ。

 新宿だって同じようなもののはずなのに、新宿ではそんな感覚になったことは一度もない。
 新宿と渋谷が決定的に違うのは、新宿には混沌の中にも目に見えない区分けと緩慢なヒエラルキーがあり、渋谷にはそれがないんじゃないかとも思う。
 渋谷は、訪れる人それぞれが勝手な幻想や妄想を持ち込んで、ベタベタと貼り付けていくことで、無様で不恰好で、常に破綻と紙一重のバランスの悪い砂上の楼閣が出来上がっているように感じるというわけだ。
 そのパースペクティブのヘンテコなズレや歪みが気持ち悪さに直結するんじゃないかと省察している(そうか、だから大学にもあんまり行く気が起きなかったんだな。そうか、そうか)。

 中藤さんと少しだけ話ができた。
 聞けば本当は渋谷ではなく全く別の展示を考えて準備を進めていたとのこと。
 それが渋谷になった理由が「これじゃねえ」的な反転にあったと聞いて、ちょっと可笑しくなってしまった。
 例えるならモンクやマイルスをさんざん聴いてたくせにMJQなんかを聴いてしたり顔をしている自分に気がついちゃったとか、ヴェルヴェッツやラモーンズやクラッシュを大音量で聴いてたくせに、オフコースを聴いて「泣けるよねえ」なんて言っちゃう自分を見つけちゃって「こんなことやってる場合じゃねーだろ」と焦るような。

 こういうことって、多分、ある程度の年齢になってくると遭遇しやすくなるものじゃないかと思う。
 僕も気がつくとAORとか聴いてのんびりしちゃってる自分に気がついて意味もなく恥ずかしくなったり、不必要に慌てることがある。
 そうした時の自分は我ながら滑稽で、一人でケタケタと笑ってしまうし、ストラングラーズやパティ・スミスが大好きだったあの娘がこんな姿を見たら呆れかえるだろうなあと、やはり大慌てするのである。

 写真とは全然関係のない話になってしまった。
 まあいいか。


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樹 恒近
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