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中藤毅彦写真展 「DOWN ON THE STREET 東京1995-2025」
品川のキャノンギャラリーSに、敬愛する友人の中藤毅彦さんの写真展「DOWN ON THE STREET 東京1995-2025」に行ってきた。
30年分、200枚超の写真が架けられていると聞き、ワクワクで自転車を漕いで行ったのだけど、ワクワクなんてもんじゃなかった。
30年という時間の厚み。
写真はその時々の表層を剥ぎ取って収集して行く作業でもあるけれど、中藤さんの人生の半分以上の時間を費やして撮り続けられた写真は、もしかしたら中藤さん自身の意図すら越えて圧倒的な「記録」として地層の如く東京という街を再構築することになっていた。
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写真は地層になる。
今はもう消えてなくなってしまった風景(誰が新宿西口からあのロータリーが無くなるなんて想像しただろう。小田急が更地になって、線路越しに東口のLUMINEが見えるようになるだなんて想像した人はいただろうか)が中藤さんの写真によって記憶と結びついて、思い出すことなどなかった出来事が次々と蘇ってくる。
生まれも育ちも東京で、これまで60年間東京で生きてきた中で、東京という場所がそれほど激しく変化したとは思っていなかった。
もちろん表層的な変化はある。スカイツリーにしてもいまの渋谷の再開発にしても。
でも東京という街は、東京に生まれ育った中藤さんや僕のような人間の都合や理想などお構いなしに、ある意味では外から流れ込んできた人間たちのアタマにある「東京らしさ」をひたすら具現化することで変化を続けてきたような気がする。
それゆえに愛憎半ばするところがあって、正体が掴みきれないまま今に至っている。
ギャラリーの中は「黒く」、裸のラリーズのノイズのようなBGMが流れていた。
小綺麗なシティポップでも、小洒落たジャズでも、抒情に傾きすぎた演歌でもなく、東京はノイズの街なのだなと思い知った。
90年代から2000年代の東京を体感している人には、自分の中にある東京に鈍いナイフを突き立てられるような展示だと思う。
もしかしたら僕もまた自分で気づかないうちに変化しているんだろうか。
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