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四月馬鹿の話

 午前中の会議の最中、やたらとiPhoneが震えるのでちらっと見てみたら、メールはお世話になっているエージェントの友人からだった。
 内容は、翻訳を依頼して応募していた短編小説がスペインのカスティーリャにあるミゲル・セルバンテス・ヨーロッパ大学主催の文学賞を受賞したとの知らせ。
 2週間後にカスティーリャで授賞式があるから、そのつもりで、と。
 フライトと宿の手配はエージェントの彼女がやってくれるから、僕はパスポートと荷物だけ準備すればいいみたい。
 そんなわけでちとスペインに行ってきます。

#エイプリルフール
#ただの妄想
#スペイン語はもちろん日本語も怪しい
#どうせつくなら景気のいい嘘に限る

 4年前にこんな嘘ばなしを作った。
 SNSにアップしたところ、最後のタグを見るまで信じ込んだ気のいい友人たちが何人もいて、笑ってしまいつつも、ありがたく感じたのだった。

 小説はフィクションだ。
 体裁よく「虚構」などと言えば聞こえはいいが、つきつめるところただの「嘘」に過ぎない。小説を書く者は堂々と嘘をつくとんでもない人間の集まりなのだ。
 だからこそ面白くなければならないと思う。
 ページをめくる手ももどかしいほど、翌日の寝不足を覚悟してでも最後まで読ませてしまうほど面白くなければいけない。途中で中断したら、続きが気になって仕方がないほど面白くするのは、小説という嘘をつくことを正当化するためには必要なことなのだと思う。

 エイプリルフールと言えば、昨今は企業がひねりの効いた嘘をつくのが恒例になっている。思わずニヤっとしてしまう虚構の商品を作って遊ぶ日になっているようだ。
 いろんな企業がそうして遊び心を見せるのも悪くはないが(エイプリルフールに限らず、いつもそうした遊び心を持っていてほしいものだが)、「嘘をつく」ことについては世の小説家たちも、もっと頑張っていいんじゃないだろうか。
 いわば嘘をつくプロたちがエイプリルフールにどんな嘘をつくのか、想像するだけでもワクワクする。
 21世紀を生きる作家たちであるから、きっと壮大で、嘘だとわかったら腹が捩れるほど面白い嘘を作ってくれるはず。
 読みたいなあ。 

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樹 恒近
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