天候不順
ここしばらく、東京ではろくに太陽が顔も見せず、まるで梅雨そのものみたいな天気が続いている。
気温も妙に低くて、例年なら考えられないほど着込んでみたり、温かい飲み物が欲しくなったり。異常気象だの地球温暖化だのと言われても四半世紀前にはピンとこなかった季節の変化が、ここにきて不気味なほどおかしくなっている実感がある。
例年、ゴールデンウィーク明け最初の土曜日には、早朝から車で海に出かけるのが恒例行事だったのだが、ここ2年はコロナで行けず、「今年は!」と思っていたら海岸に出かけて行く気も失せるほどの涼しさという始末。
まったくなんだかなあという気分だ。
歴史を紐解けば……というほど遡らなくても、40年ほど前の5月は涼やかで日差しが強いという時期で、梅雨は連日シトシトと雨が続いていたように記憶している。
夏も今よりも幾分気温は低くて、30度に届かない日も珍しくなかった。
小学生の時の夏休みの宿題の絵日記を振り返ると、こまめに気温を書き入れてあって(そういう記録を取り続けることについては、やや偏執狂的なところがある)、以前、絵日記を見返して、意外なほど気温が高くなくて驚いたことがあった。
幼馴染と話をしても「そういえば『今日は30度だからプールも気持ちいいよね』なんて言ってたよね」と記憶が蘇るほどだから、当時はその程度の気温が普通だったんだろう。
中学当時の日誌(スイミングクラブの練習日誌だ)を見返してみると、夏休みの最中に35度、36度と書いてある日もある。最高気温を書いていない日もあるから、やはり奇異に感じる、書き記す程度にインパクトのある気温だったに違いない。
当時と今を比べると、もはや温帯の気候ではなく、乾季と雨季が交互にやってくる亜熱帯の気候と言った方が頷ける。
四季は形骸化して、桜も紅葉も「一応、順番なんでね。サボるわけにも行かないんで」と儀礼的に咲いたり、葉を赤くしたりしているような気がする。江戸時代の気候なら、いつ大凶作や飢饉が起きてもおかしくないほどの「不順」さだ。
これが人の営みの影響によるものなのか、それとも人間が知り得ないほどの時間の中で地球が繰り返してきた当たり前の変化なのかは知らないが、少なくとも自分が生きている間くらいは、春は春らしく、五月は五月らしくあってほしいものだ。
実に勝手な希望だけれど、五月のあの爽やかに乾いた空気と日差しが味わえないなら、東京で過ごす1年間で、気持ち良い天気など皆無になってしまうわけですよ。
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