自省録|連続投稿が40日で止まってしまった原因を考える①
こんにちは、砂塔射月です。
noteを開始してから毎日、新作のショートショートを書いて投稿し続けてきました。
しかし、続けるうちに徐々に雲行きが怪しくなり、昨日8月27日、連続投稿40日目にして一旦休憩に入ることになりました。
本当は星新一先生にあやかって1001話を目標にしたかったのですが、序盤も序盤でくじけてしまい、とても悔しい思いです。
まあでも、転んでもただでは起きねーぜ、ってことで。
今日と明日の2日間にわたって、何を理由に「これ以上続けられない」と判断したのか、その原因は何かを考察していこうと思います。
すっごく恥ずかしい内容になるであろうこと請け合い!乞うご期待!
ひあーうぃーごー。
アイディアだけでショートショートは作れない。
とんでもなく端的に申し上げると、連続更新を打ち切ったのは小説がどんどん粗くなってきていると感じたからです。
ネタ切れではありません。
ネタ帳には今も、ショートショートにできるアイディアが30個近く書き連ねてあります。
以前の投稿で僕は、アイディアさえ打ち出すことができれば、ショートショートを書くことはそれほど難しくないと述べました。
この考えは間違いとまではいかなくても、いささか極論すぎたなー、と痛感しています。
ショートショートに優れたアイディアが必須であることに間違いはないと思います。
ですが、ショートショートはアイディアノートではありません。小説の一種である以上、小説的な物語構造が求められるはずです。
古より伝わりし、売り物になるショートショートの三要素というものがあります。
アイディアはすぐれたショートショートである条件の1/3を担います。やはり重要です。
しかし、全てではありません。プロットや、物語の終わらせ方にもまた、注力が必要なのです。
以下、僕が毎日投稿の中断を決意する直接のきっかけになった、最直近の作品『お家』を題材に、砂塔自身が感じた「粗さ」を分析していくこととします。
一応、ネタバレの嵐となることをお断りしておきます。
この作品のアイディア部分は以下のものです。
1歳の誕生日を迎えた息子にマイホームを送る。
この家族は、ひとりにつき一軒、お家を持つ。
息子は、食事やおむつ交換のたびに母のお家を尋ねなければならない。
だから、言葉より先にノックを教える必要がある。
これを「種」として物語のプロットを膨らませ、印象的な結末をつけて小説に仕上げていきます。
その作業のどこかに、粗さが生じていたようです。考察すべきはこれら2点ですね。
長くなってしまいそうなので、まず今日は結末について考えてみようと思います。
物語の軸と枝、そして雑草
まず、プロットより先に結末のほうから考察していきます。
物語は終わりから考えたほうがいい的なことを、エドガー・アラン・ポーあたりが言っていた気がします(あやふや)。
さて、物語には軸があります。
結末を含むすべての物語上の出来事は、この軸に関連して展開されるべき、というが僕の持論です。
軸とは、その物語の面白さの核となる部分です。
「その小説、どこが面白いん?」という問いに一言で答えたものです。
普通の小説だと、軸は「魔法学校での平穏な生活と、壮大な悪との戦いという二つの物語の融合」だとか、「青春時代特有の葛藤を重ねながら成長していく普遍的な物語」のようなテーマだとか成長要素の部分になると思います。
アイディアストーリーであるショートショートの場合、ここにはテーマでなく、アイディアを入れるべきです。
拙作『お家』の場合だと、「1歳にしてマイホームを与えられた赤ちゃんの育児」とかでしょうか。
人によってはお家を作る過程とか、育っていく子ども目線で書きたくなるかもしれません。
軸は、例えるなら木の幹です。
展開される物語は、すべてこの軸と関連するお話、つまり枝でなければいけません。そうでなければ、この物語の「どこが面白いのか」が読者に伝わらないからです。
軸に関連していないシーンはすべてノイズです。枝ではなく、雑草です。雑草は幹を覆い隠し、木の全体像=面白さを伝わりにくくします。
さらに、雑草は大きければ大きいほど、木の存在を覆い隠してしまいます。つまり、ノイズ部分が下手に面白ければ面白いほど、物語の面白さが余計に伝わりにくくなってしまいます。
実際に分類してみる。
結末を含む『お家』のストーリー展開を、箇条書きにしてみます。
改めて読んでみると、なんだこりゃですね。
さて、結末は「世界中の人類全員がひとつ屋根の下に暮らす家族となる」です。これは、軸である「1歳にしてマイホームを与えられた赤ちゃんの育児」と関連しているでしょうか?
「ひとつ屋根の下」と「マイホーム」は似ているし、「家族」と「赤ちゃん」も関連しています。雑草気質はあれど、完全な雑草ではなさそうです。
ということは、結末に至るまでの過程に軸からのぶれが見られるのかもしれません。すべてのシーンを枝と雑草に分類してみましょう。
うん、ノイズだらけ。
どうやら結末そのものというよりも、そこに至るまでのプロセスにぶれが大きかったようです。ぶれっぶれです。
『お家』を面白く書くのであれば、地震や戦争と違った筋で、最終的に地球全体が一家族になるようなエピソードに仕上げるべきだったのかもしれませんね。なるほど。
まとめ
こうやって体系的に語っているところからも察していただけると思いますが、軸とノイズの関係性はnoteを始める以前から備えていた、自前の創作論です。なので、開始当初はもっとしっかりと意識できていたはずです。
毎日追われるように新作を書き続ける中で、少しずつ余裕を失い、こういった細かい観点を見失ってしまったようです。
粗いと感じるにいたった原因が、これでひとつ解明しました。
めっちゃすっきり。
明日はプロットについて、粗さの原因を究明していこうと思います。
あでぃおーす。