【クリエイティブとLIFE Vol.4】年100本以上イベントを開催。イベントプロデューサー・テリー植田のコミュニケーション術
【イントロダクション】
※100円に設定されていますが、全文無料で公開しています。
クリエイティブとLIFE、シーズン2をはじめます。
通算4回目に登場いただくのは、イベントプロデューサー・テリー植田氏。渋谷のイベント・スポット「東京カルチャーカルチャー」のイベントプロデューサーとして年間100本以上、延べ1300本以上のイベントをこなし、現在はそうめん研究家「ソーメン二郎」の名でそうめんの普及活動にも力を入れているテリー氏。そんな氏がイベントプロデュースの心得をまとめた書籍『誰も教えてくれないイベントの教科書』(本の雑誌社)を昨年2月に出版し、2020年には重版がかかりました。今回のインタビューでは、自治体、企業、お笑い芸人、アーティストなど、様々なジャンルの人々とイベントを練り上げる氏の企画力、コミュニケーション力にフィーチャー。「打ち合わせは30分以内」「ゴールデン街はコミュニケーションの訓練」「書籍はイベントプロデューサーとしての遺書」など名言が飛び出したインタビューをご覧ください。
※追記として、COVID-19蔓延以降の氏の近況についてもコメントをもらいました。こちらも合わせてご覧ください。
【INTERVIEW:テリー植田(イベントプロデューサー)】
(取材・文:公森直樹/撮影:井山敬博/場所:BE-WAVE/19年4月収録)
●Profile
テリー植田/てりー・うえだ
イベントプロデューサー。
1971年、奈良県桜井市生まれ。
東京カルチャーカルチャー イベントプロデューサー。奈良県桜井市地域ブランド認定委員会委員。
東急ハンズ、東急百貨店の催事プランニングを行う。宣伝会議、大学、企業セミナーで「愛されるイベントの作り方」を講義中。そうめん発祥の地、桜井市出身であることからそうめん研究家ソーメン二郎としての活動も行う。著書に「誰も教えてくれない イベントの教科書」(本の雑誌社)、監修した「簡単!極旨!そうめんレシピ」(扶桑社)、企画・原案したそうめん絵本「そうめんソータロー」(ポプラ社 作:岡田よしたか)がある。
東京カルチャーカルチャー
http://tokyocultureculture.com/
今回の本は、
イベントプロデューサーとしての遺書です
――テリーさんの名前は知らなくても「ソーメン二郎」として名前を聞いたことがある人は多いかもしれませんね。
テリー そうだね。ソーメン二郎としては、絵本作家の岡田よしたかさんに「そうめんソータロー」という絵本を書いていただくことになって、僕が企画・原案をやってます。さらにそのテーマソングを、『深夜食堂』の挿入歌を担当する福原希己江さんに歌っていただきました。その作詞も福原さんと共作して。夏には東急ハンズで売り場を作るし、サマーソニックにも屋台を出店する予定。どんどん大きくなってきたね。
――いやすごいですね。ソーメン二郎もその延長線上にあると思うのですが、元々、イベントプロデューサーとして長年活動されてきたわけですよね。
テリー 専業になったのは2007年からだから、今年(※注:2019年時点)で13年目ぐらいかな。
――出版された本にも書かれていましたが、イベントをコミュニケーションの場として機能させる、というのがテリーさんのイベントプロデューサーとしての大きなテーマですよね。
テリー そうだね。
――そもそもは新宿のロフトプラスワンを中心に『岡村靖幸ナイト』や『伊達男ナイト』、『プリンスナイト』などのイベントを打っていて、それが経緯となってカルチャーカルチャーでブッキングマネージャーになったという流れですよね。
テリー そう。だけど、もうイベントプロデューサーとしてはもう足を洗おうとしていて。
――えっ! そうなんですか?
テリー 13年もやってきたしね。僕はイベントプロデューサーという肩書きではあるけど、イベントをやること自体は、僕の目的でも何でもないんですよ。僕にとって大事なのは、イベントでのコミュニケーションを通じて人間関係を形成していって、人生をちょっとだけ楽しくすること。
【書籍紹介】『そうめんソータロー』(岡田よしたか著/ポプラ社)
テリー植田氏がそうめん研究家 ソーメン二郎として企画したそうめんを主人公にした絵本。『うどんのうーやん』で知られる岡田よしたか氏が絵と物語を手掛けた。
――いろんなイベントを仕切って楽しいとか、こんなに大きなイベントをやったぜ、みたいなことではないと。
テリー そうじゃない。ただ、プロデューサーとしては、一緒にイベントをやっていく企業や自治体の課題を解決することも当然考えています。彼らが抱えている問題を解決したり、その中で顧客同士のコミュニケーションを促したり。それをイベントという枠の中でやっているのが僕の仕事というだけで、問題を解決する場は、雑誌やセミナーでも良いわけです。
――問題を解決する場所のひとつとしてイベントがあるんですね。
テリー だから、「いろんなイベントやってますね」っていう話を言われるんだけど、僕はブッキングをやってるわけでもイベントをやってるわけでもなくて、イベントという手法を使ってコミュニケーションのデザインをしている。だから本の表紙に、“すべての悩み 解決します”って書いてあるじゃない? これはアーティストや自治体の悩みであったり、企業の悩みだったりする。ただ、10年前くらいは、それを解決する方法の最先端としてリアルイベントがあったんですよ。リアルイベントがあって、ツイッターだったりフェイスブックだったりみたいを活用しながら一緒に盛り上げていく手法。ただ、そこからもう10年経ってるから。
2019年2月に出版された『誰も教えてくれないイベントの教科書』(本の雑誌社)。社内イベントからチケットを売り出すようなイベントまで、開催に至るまでの心構えや実際の準備を丁寧に説明した内容。イベント当日の半年前から逆算し、何を準備すれば良いのかが具体的に書かれているのが特徴。
――もう感覚としては古くなってきているということですか?
テリー だって、インスタとか辞めようぜっていう風潮もあるわけじゃないですか。コーチェラ・フェスティバルのトリでチャイルディッシュ・ガンビーノが出てきたときに、「みんなインスタをやるためにここに集まっているわけじゃないだろ」ってカメラを向ける大勢のオーディエンスに向けて発言していて。つまり、フェスですら音楽好きが集まっているんじゃなくて、インスタというツールを使うための場になってしまった感があるわけです。それは危険だってことに、そろそろみんな気づいてきているんじゃないかな?
――インスタにしても何にしても、その更新を目的としてリアルな場に向かう傾向は確かにわかります。
テリー そういうインスタやYOUTUBEをPRに使う手法はもう誰でもできるじゃないですか。それもあまりお金をかけずに。
――手法が確立されて、コストも下がっている。
テリー テレビに出ている人がすごい、という時代じゃないもんね。そういう時代の流れでイベントの在り方も相当変わってきたから、このタイミングで1回本にしてまとめておこうというのが『誰も教えてくれないイベントの教科書』。本当は3年前くらいに出したかったんだけど。まぁ、イベントプロデューサーとしての僕の遺書です。僕はこれを機に、イベントプロデューサーの仕事から教育分野でノウハウを教えて行く比重を増やしています。宣伝会議のようなセミナーや大学の講義、企業研修で「愛されイベントの作り方」を教えています。
――遺書ですか……それはワンステップ先に進むための、新たな目標は見つかったからなのでしょうか?
テリー 僕は今、ベトナムに注目していて、1年のうちに2ヵ月はホーチミンにいる状態にしていて。10年後、ベトナムがどうなっているかという視点で動いている。2020年、ホーチミンでは初めて電車が通るんです。そうすると、ホーチミンに終電まで遊ぶっていうカルチャーができる。これから経済だけじゃなく、カルチャーが成熟していく場所に、遊び方の提案をしていく仕事を進めていて。
――スケールの大きな話になってきましたね。
テリー でも、やっていることは変わらない。人同士を繋げるコミュニケーションをデザインしていたのが、街や生き方みたいなところまで踏み込んだところになったという。
――それでベトナムに惹かれていると。
テリー ちょうど東急電鉄がホーチミンの街づくりに参画していて(テリー氏による関連記事→(【マネー現代】日本人がなぜか「ホーチミン」の次世代カルチャーを牽引しているワケ)、大規模なマンションが次々に建っている。日本企業もかなり進出していて、ファミマや吉野家といった外食産業だけでなく、ユニクロや高島屋もある。カフェにはDJもいるんだけど、DDJ(フルデジタルのDJ機材)が主流。
司会者としてイベントやメディアの場に出ることも多く、そのトーク術は目を見張る。質問に対しても的確に切り返してくれた。
――今の技術を用いて文化も街も生まれつつある。
テリー しかも、それを20代が中心となって動いているわけだから。だから5年、10年後、どれほどの変化があるのかわかっている日本人が、ホーチミンに注目しているわけです。その中で僕がどういう風に動いていくかを模索している最中ですね。
――カルカルがある渋谷の変化も感じますか?
テリー 渋谷に来た観光客が何をするかと言えば、スクランブル交差点を写真に撮るくらいでしょう。遊べる場所も、日本人と観光客がコミュニケーションする場所がない。新宿にはまだゴールデン街があるけれど。それじゃあ街には行かなくなりますよね。
――その街にわざわざ出かける意味がなくなると。
テリー 渋谷にわざわざ行かないっていう大人の声はやっぱり聞くわけですよね。その中で、僕は渋谷にあるカルカル(東京カルチャーカルチャーの略称)のイベントプロデューサーとして、渋谷に足を向けてもらおうとイベントを考えているわけです。カルカルだけじゃなくて、東急百貨店だったり、東急ハンズだったり。その内容によって場所も変えながら、13年、これまでやってきた感じです。
――なるほど。ただテリーさんのように、イベントをコミュニケーションの場として機能させられる人があまりいなかった、というのも大きいのではないでしょうか。
テリー 場所はいっぱいできたんだけどね。15年くらい前だとイベントやれる場所と言えばライブハウスくらいしかなかったけれど、今はもうそこら中にあるでしょ? だけど、単にトークショーをするだけでは意味がなくて、イベントはコミュニケーションの場として、新しい出会いがあったり、発言によって新しい気づきがあったりするのが一番大切な要素だと思う。だから僕はブッキングだけじゃなくて、司会をやってその場の空気を掴んだり、お客さんと会話したり、そこで問題点を見つけていく。
ベトナムでの展開を熱く語るテリー氏。ホーチミンをはじめ、街に溢れる活気には未来を感じるという。
打ち合わせは一件30分以内。
年100件のイベントを成功に導く時間活用術
――テリーさんと知り合ってから15年以上経ちますが、見ず知らずの人ともすぐに打ち解ける社交性の高さがありますよね。
テリー たぶん生きていくなかで、お金をいくら貯めても仕方ないぞっていうのが根底にあって。おもしろい人とお酒を飲んだり、仕事をすることが楽しい。そのためにはまず出会いがないと。さらに言えば、その出会った人と仕事する可能性も普通は低いわけでしょ。
――まあそうですよね。
テリー そこにコミュニケーションが生まれるかを考えるわけです。例えば、『プリンスナイト』(※プリンスファン有志によるDJイベント)を25年くらいずっとやっているけど、その理由としては、プリンスはなかなか来日しないし、プリンスのファンが集まれる場所がなかったわけです。だからその場所を作ることでファン同士のコミュニケーションができるという逆算があった。
――そういう発想が最初からあったということですよね。その場限りの出会いにしないというか。
テリー 振り返ってみると、もう小学校4年生のときに僕は新聞部を作って、“もしも新聞がなかったら”っていう演劇をやったことがあって。そのときの劇の内容というのが、「新聞がなかったら、殺人犯が家に来たときにわからなかった」という内容。
――4年生にして、激シブな演劇をやっていますよね(笑)。
テリー うん(笑)。だから10歳の頃からもう何も変わってないですよ。それをお金もらってやっているだけの話で。
――それを仕事にできるタイプだったと。
テリー そうね。おもしろいと思うものを仕事にしないとダメなタイプだったから。僕の親父はずっと郵便局員だったから、「公務員になれ」ってずっと言われ続けてきたから、その反発もあったかな。
――その反動でエンタメに興味が向いて。
テリー もともとは映画監督になりたかったけれどダメで。それで、僕が最初に就いた仕事というのはTV-CMプランナー。だから最初か挫折していて、何やってもダメな時代がずっとあった。その後上京して、サラリーマン時代もイベントやってたけれど、それは副業的だったから。当時は、本業と副業っていう表現していた時代。副業のブロガーが名前も顔も伏せていた。でも、もう副業と本業みたいな括りはないでしょう?完全に個人の時代になった。
現在は東村山在住。妻、三匹の猫と暮らしている。
――ふたつやってることが普通、みたいな状況ですよね。
テリー そう。両方やっているのが認められる時代になって。フリーランスの人たちが企業から仕事を直接受けて、どんどんやる時代になっている。僕の場合も企業や自治体からメッセンジャーで直接来る仕事がすごく多い。
――数をこなしていくのは大変そうですけどね。
テリー うん。例えば月10本イベントをやるとすると、そこに打ち合わせが何回必要かって話だよね。
――ほぼ毎日になりますよね。
テリー 普通はそうだよね。打ち合わせが月100本みたいなことになりかねない。それを解決する方法はただひとつ。打ち合わせをしないことです。
――そんなことが可能なんですか?
テリー 企画書も書かない。代わりに、自分がやっているイベントの現場を見てもらって、「こういうイベントにしたい」というイメージを言葉にしてもらう。
――打ち合わせの代わりに現場を見てもらうわけですね。
テリー 現場で見てもらって、その場で日程を決めて、告知までの流れも固めて。
――では、カルカルに依頼があった場合は、一度現場に来てもらってそこからはスムーズに決めてもらうと。
テリー 大体5日以内。打ち合わせは30分以内って決めているから、そこでもう内容までFIXしてしまう。そこで決まらないものはダメなんです。「一旦持ち帰ります」だと。
――なるほど。
テリー そういうことができるのは、カルカルが100人~150人規模の、ひとりでコントロールできる会場だから。1万人規模のイベントをやるわけじゃないからね。そういうイベントを量産するなかで何かホームランが生まれたり、メディアで話題になったりして、なんとなく時代のカルチャーみたいなものが形作られていくわけです。
――とはいえ、最初からそういうやり方ができたわけじゃないですよね?
テリー もちろん急にそういうことができたわけじゃなくて、何度も回数を重ねたからできるわけだけど。来てくださるお客さんを楽しませて、ちゃんと2千円とか3千円の価値を生むイベントを量産できたのは4年目くらいからです。最初の2、3年は、やっぱり数がこなせなかった。経験を重ねて、数をこなすノウハウができたから本にもまとめられた。
――最初の頃は、ロフトプラスワン時代と共通するような、サブカルチャーよりのイベントが多かったですよね。
テリー カルカルはオープン当初お台場にあって、その場所でかなりやれることが限定されていたのも大きいかな。
【東京カルチャーカルチャー】テリー氏がイベントプロデューサーを務める東京カルチャーカルチャーのホームページ。
――その中で、ターニングポイントになったイベントは?
テリー そうだね……僕は食べ物系のイベントを組むことが多いんです。食べ物が主役のイベントだと、タレントさんにギャラを払わなくて良いですからね。むしろ協賛でもらえたり、会場費を出してくれたりする可能性がある。例えば、缶詰のイベントだと、缶詰を協賛で出していただいて、「缶詰バイキング」という形でイベントを打ったら、100人のお客さんがお金を払ってきてくださったわけです。
――缶詰を語るっていうトークイベントだったらそこまでバズらなかった家可能性はあるけれども、実際いっぱい食べられるぞってなると人が来る。
テリー その缶詰自体、100円~200円のものじゃなくて、800円とか1000円の高級グルメ缶詰っていうのができ始めた時期で。それが注目を集めて、ネットニュースにもなった。それが10年前くらいにイベントとして成功したとき、「あ、これは今まで僕が考えてたものではない新しいものになったな」と。そこからもうざーっと企業イベントっていうのが増えてきて。
――元々テリーさんは、『ブクブク交換』とか『ソーメン二郎』とか、ネーミングのインパクトにもこだわりを感じますが、イベントタイトルでもそれが重要だったりしますか?
テリー イベントはタイトルが命ですよ。やっぱり“缶詰バイキング”とか“野球ファン交流戦”とか、“文具祭り”とか。ぱっと見てわかる、何ができるかわかる、なんとなく楽しい感じが出てる、それが重要。“からあげクン祭り”とか、もうそれだけでおもしろいし、おいしそうでしょ(笑)。
――簡潔できちんとわかるものにすると。
テリー からあげクン食べ祭りは、たくさん食べられることがすごいのではなくて、地域限定のからあげクンもすごい数、あるんですよ。現地のローソンでしか売ってないやつを含めると250種類。
――思ったよりも多いですね(笑)。
テリー それがイベントに来ていただければ、全種類その場で食べられますよと。これを一般の人だけじゃなく、「翌日からローソンのお店で新商品を発売します」というプロモーションの場としても活用したわけです。
――なるほど。
テリー すると、まずは遊びに来てくれた一般のお客さんがSNSでからあげクンをアップしてくれる。それが勝手に宣伝になっていくんです。そういう手法自体は目新しいものではないけれども、それをローソン側と話をつめて、イベントとして成立させるのが僕の仕事。
――広告費としてメディアにCMを打つのはできるでしょうけど、イベントとなるとまた別の動きが必要ですよね。
テリー 企業も、イベントを自力で打つようなノウハウは10年前だとそんなになかった。それをすべて僕が引き受けます、という形で、イベントの企画から当日の導線まですべてレクチャーしていった。そうやって企業の信頼を得て、また次のイベントを打って、の繰り返し。それを13年もやれば、タフにもなるよ(笑)。
あまり本文とは関係のない話ではありますが、テリー氏と筆者は専門学校の先輩・後輩だったりします。
ゴールデン街での日々が、
司会者としての筋力を作ってきた
――そうやってイベントの魅力をプレゼン、説明する能力がプロデューサーの肝かもしれませんね。そういうコミュニケーション能力はどこで培ったんですか?
テリー ゴールデン街に飲みに行くことかな。
――それは趣味じゃないんですか(笑)?
テリー 確かに飲みに行くのは好きだけど、それだけじゃない。大体、仕事している人とは飲みに行かない。カルカルでイベントがあるときも、打ち上げもせず、司会が終わったらそのままカルカルを出て、新宿に向かってます。
――自分の仕事をこなしたらその場からすぐ立ち去る。在りし日のやしきたかじんみたいですね(笑)。
テリー そうそう。よく「テリーさんってゴールデン街で飲んでれば仕事になるんですね」とか言われるけれど、そんなものはないですよ。じゃあなんで僕が飲み屋に通っているかというと、イベント司会者としての言葉の自主練なんですよ。アドリブって良く言うけど、自分の引き出しを作ってすぐ言葉として口から出せる技術をアドリブって言うんです。ソーメン二郎としてテレビ、ラジオに100本くらい出演させてもらって番組での芸人さんのアドリブのおもしろさと速さを実感して、少しでも本番でおもしろいやりとりができるようになりたいって思ったのも大きな経験です。
――夜な夜なお店を巡るのにはそんな意図があるんですね。
テリー 例えばゴールデン街の立ち飲みで5、6人のお客さんがカウンターにいたとしたら、その人たちはマスターも交えて会話をするわけです。その会話の場を、悪目立ちせずにどう面白くできるか。「今日、こんなことあってさ」っていう他愛のない話を、初めて会う人にもおもしろく伝える練習になる。
仕事場は渋谷だが、取材場所となったBE-WAVEをはじめ、飲みに行くのは新宿~歌舞伎町界隈。ゴールデン街の店舗を間借りし、ソーメン二郎のお店を開いたことも。
――なるほど(笑)。
テリー そこでのエピソードや他人にも伝わりやすい喋り方をインプットしていくと、司会をやっている本番のときにぱっとアドリブのように出せる。それを僕は毎日自主練としてやってるわけです(笑)。なぜかわからないけれど、言語を教えてくれる学校はあっても、不特定多数とのコミュニケーションを教えてくれる学校はないんですよ。だからゴールデン街は僕にとって学校で、そこに25年通っているんです。
――ほぼ日課ですよね。
テリー スポーツ選手はトレーニングを毎日するじゃないですか。司会者もそうやって練習しないといけない。そうじゃないと人前に立っちゃダメだと。
――そういうスキルを磨いてきた自負はあるわけですね。
テリー それがいちばん大事だったりする。最初の打ち合わせで“あ、この人に任せたら大丈夫かな”とか“おもしろいな”とか“あ、やっぱり返しが違うな”とか、30分以内の会話でわかるじゃない? 初対面のときがすべて。プライベートであっても、新しい人との出会いはすべて営業活動に結びつく可能性があるのがフリーランス。個人でやるのはそういう気持ちが必要だと思うよ。
――コミュニケーションの技術は一長一短では確かに身につかないですからね。
テリー どんなに頭の回転が早くても、尊敬はされても場を盛り上げられないことがあるわけで。「僕、東大出てて」って言われたら「すごいですね」とはなるけれど。
――単なる学歴自慢になってしまう危惧がありますよね。
テリー じゃあそれをイベントにするなら、「東大を出ている」ことをおもしろくしないといけない。
――ただ、その打ち合わせの中で、自分の意見だけでなく、相手側の意見を吸い上げることも必要ですよね。
テリー もちろん。そういう相手側の要望やアイディアの種をおもしろいものに変換してリアクションするには、普段からいろんな人とコミュニケーションを取っていないといけない。ただ闇雲にべらべら自分の意見を伝えるのではなくて、頭をひねって会話することが大事。さっきも言ったけれど、常に言葉とアイデアは口の中に入れてるっていう状態にしないといけない。
――相手の意見がどういう方向から来ようとも、自然と素早く返せるように準備していると。
テリー それを初対面の人にできたら、“あ、この人何でも知ってるな”とか“何でも答え出てくるな”っていうふうに見えるでしょ? じつはアドリブじゃなくて、ちゃんと準備している。
――アドリブに見えるくらいの高い話術がベースにあると。
テリー “あ、おもしろい人だな”っていうのが信用なわけで、で、それが仕事に繋がっていく。やっぱり企業の場合は一回事例を作ると、信用されると続くんですよ。
本当の働き方改革は、
フリーランスになることじゃないかな
――コミュニケーションをすぐに上達する魔法はないと思いますが、簡単にできる訓練はありますか?
テリー 自分みたいなプロデューサーという立場でいくと、やっぱりおもしろい企画を作るのがすべて。自分の好きなものなら誰でもおもしろい企画を作ることができるけれど、そればかりやっていれば発展性もないし、規模もだんだん小さくなる。そうなると、自分の知らないもの、興味のないものに手を伸ばすしかない。例えば歌舞伎とか、フィギュアスケートとか、そういったものに見識を広げていって、詳しい人をメインにした企画を作るとか。自分の知らないものすべてを、“うわ、俺知らない。ラッキー!”って思えるかどうか。
――そこをポジティブにとらえると。
テリー そこから、調べる。缶コーヒーのパカっていうフタはなぜあのデザインになっているのかを調べる。それ自体は誰も興味のないことだとしても、そのデザイナーが日本人だったりするかもしれないし、大変な苦労があったかもしれない。
――意外なところで点と点が繋がることはありますよね。
テリー その積み重ねが“あの人は何でも詳しい”という評価や信頼に繋がるわけです。そうすると、ひとつ企画がダメになっても、ほかの企画が続いていればダメージが少ない。それに、知識を得ていくと何でも楽しめる境地に達していく。知識があるということは、相手の話にも合わせられるということなんです。それが自慢にならないように注意すれば、アドリブが効くようになる。
――知識とハサミは使いようですね。
テリー そういう知識やコミュニケーションの力を一番活用できるのがフリーランスでもある。会社にいると人間関係と主従関係に縛られるから、自分の立場を変えるには時間がかかる。極端に言えば、フリーランスになるのが一番の働き方改革だと思います。要はどこに行っても立ち位置が変わらないし、上下関係がないから自由に意見も言える。働く時間を単に短くするのが改革なわけがない。
【↑テリー氏による関連記事】ライターとして活躍するテリー氏によるCOVID-19蔓延以降に書かれた記事。イベントプロデューサーとして大打撃を受けながらも、極めて冷静に現状を認識・分析している記事。
――そういう話を長年フリーランスでやっているテリーさんから聞くと、フリーランスにも希望が持てるところはあるかなと思います。
テリー フリーランスの人は厳しい分だけチャンスはある。ただし、どのように自分を売り込むかはしっかりと考えた方が良い。僕もイベントプロデューサーという肩書をすごく気に入っているわけではないけれど、ブッキングマネージャーやディレクターだと予算がつかないんです。
――なるほど。
テリー イベントプロデューサーという名義だと、イベント全体の企画・制作を手掛けたプロデュース料を請求できる。そこは予算を組むための肩書だよね。自分の値段を決めるのも大事。僕はある企業の担当者からイベントプロデュースを依頼されてプロデュース料の金額を伝えたら、「テリーさんならその金額の3倍で請求してください」って言われたことがあって、それからプロデューサーとしての意識が変わりましたね。
――プロデューサーという役割にはそれくらいの価値が付けられる。
テリー そこは自分の能力を客観的に判断できないといけない。フリーランスだから、会社をドサ回りしても意味ないでしょ? だからメディアで“あ、あの人知ってる”っていう担保を作るしかない。肩書もそのひとつだけど、信頼できる何かがないと、「怪しいな」で終わるのがフリーランス。
――例えば、「ソーメン二郎は知ってます」みたいな話だけでも違いますよね。
テリー そう。そこがある・ないというのは大きい。名刺なんか何の役にも立たない。今でもテレビやラジオ、あとこうして本を出している実績があることが仕事につながる。そうやって名前を知ってもらっていれば、自主的にカルカルのイベントも調べてくれて、「松本幸四郎さんや松本零士先生とイベントをしているんだ、というところにも行き着いてくれる。ただ、僕の今の問題としては、イベントプロデューサーのテリー植田よりもそうめん研究家のソーメン二郎の知名度が上になってしまった。どうやってソーメン二郎を追い抜くかが最大の課題です(笑)。
※2020年4月追記※
COVID-19による緊急事態宣言
イベントプロデューサーとしての現在
Q.COVID-19蔓延以降、どのように日々を過ごしてきましたか?
テリー イベントプロデューサーとしての企画、プロデュースした2月末から3月、4月、5月中までのイベント全てがキャンセルになりました。6月以降もキャンセルが続いている状況で先は全く見えないです。2月末の初期コロナ自粛ムード時は、なんとか東京都のイベント自粛ルールに従ってイベントを開催しようとする考えもありましたが、非常事態宣言以降は完全自粛になりました。キャンセルになるイベントの払い戻し作業をする日々でしたが、その作業も終わり、今は、リアルイベントからオンラインイベントに完全シフトしたのでその企画を考えていますね。
【↑テリー氏による関連記事】なぜ私たちはイベントに夢中になるのか? 「コロナで中止」の今こそ考えよう(アーバンライフメトロ)
Q.イベントが打てない状況の中、どういった部分に希望を見出していますか?
テリー コロナ終焉とともに徐々にリアルのイベントが戻って来るタイミングがいずれ必ず来ます。イベント、売り場、書籍、飲食店など世の中の文化的なサービスが再生する時に、いかに世の中に寄り添った企画を立てていち早く実現するかが大事だと思っています。これから続々と開催されていくオンラインイベントの良いところからヒントを得て、僕は現場至上主義なのでいろんな現場でそれを反映させられたらと思いますね。
Q.対面で会えない状況の中で、どのようなコミュニケーション術が必要だと思いますか?
テリー しばらく仕事もなくイベント魂を喪失してしまって、軽い鬱状態で物忘れがひどくなりました。お風呂に2回入ったり、何度も猫にごはんをやったり、スーパーへ買い物しに行ったのに何も買わずにトイレに行って家に帰って来たこともありました。精神病院で診察してもらったら不安から来る一時的な精神的ストレスだと診断されました。きっとこんな人も多いだろうと思って、仕事仲間たちに電話していろいろ近況を話し合いました。家族を失っている仲間もいました。やっぱり電話はいいなって思いました。
違う話になりますが、僕は東村山在住なので、志村けんさんの追悼記事を書きました。東村山市長をはじめ東村山市民の方々にコメントをもらって掲載させてもらいました。悲しいことですが、東村山が寄り添った瞬間を体感しました。ある出来事がきっかけでさらにコミュニケーションは深くなると思います。
【↑テリー氏による関連記事】「天国で皆を笑わせて」東村山市民15人が志村けんさんに送った熱き「心の声」とは(アーバンライフメトロ)
【執筆者Profile】
公森直樹(コウモリ) 編集者、ライター。
アニメ系、カルチャー系を中心に執筆中。
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ちなみにこのProfileイラストも大橋先生画!
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