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【小説】ピエロなシエロのおかしなおはなし Part.19

〜道化の凱旋〜

「うわっ。・・・なんだこれ!」

 ゲホゲホとむせながらシエロが悪態を吐くのを、老婆と木の人形はゲラゲラと笑って見守っていました。

 彼らは今、首都ラティリアの隣接する街『ラプリナ』へと辿り着いていました。

 たくさんのお菓子工場があるこの街は、たくさんの労働者で溢れかえっています。

 通りを行く人々は、だらしない酔っ払いを見るような蔑んだ視線をシエロに投げかけながらさっさと通り過ぎていきました。

 そしてシエロはたった今、シニーからもらった怪しげに輝く金色の液体を飲んだところでした。

 それを飲めば一時的ではありますが、ラティリアに近づいたとしても、シエロにかけられた魔法の力で胸が痛むことはなく、快適に過ごせると聞かされていたのです。

 ここ『ラプリナ』に到着する頃にはシエロの呼吸は乱れ、またその歩みも徐々にゆっくりとなっていましたが、それでも「まだ」と先ほどの液体を飲むことは許されていませんでした。

 さぁ、ではそろそろ故郷のラティリアへの凱旋を、というタイミングでついにその謎の液体を飲むことを許可されたのですが、そのあまりの不味さにシエロは思わずむせ込みクラクラとする頭を抱えていました。

「気分はどう?」と、椅子に座り悠々とした調子で尋ねる老婆。

 老婆の肩には顔がにやけるのを必死に抑え、さも心配していますよ、と言わんばかりの顔をしたパタムールがシエロのことを伺っています。

 木に寄りかかり恨めしそうに振り向いたシエロは一言「最悪だ」と呟きました。

 シエロの返答にふーん、と眉を上げ「ならよかった。ちゃんと効いたようね」と呟いた老婆は、タバコを取り出すと美味しそうに吸い始めました。

 なんとか乱れる呼吸を整えようと深く息を吸い込みます。

 まだ口の中に先ほどの液体が残っているのか、不快感が消えないようです。

 シエロはうえーっと口を歪めながら全身をブルブルッと振るわせました。

「俺にも、タバコ、くれ」

 まさに息も絶え絶えといった調子でシエロは老婆にそう投げかけました。

 あら、いたの?とでも言わんばかりにその老婆はわざとらしく驚いてみせると、指をピンっと立てて「ちょいとお待ちや、坊や」とタバコをフカフカさせながら言いました。

 あら、どこ行ったかしらねぇ、などと呟きながら巾着袋の中を漁る老婆。

 シエロの口の中は、今までに体験したことのないぐらい『まずい』不快感で溢れていました。

 それは例えるならば、口の中でカエルの卵がたった今、孵ったかのような感じでしょうか。

 いえいえ、そんなもんじゃありません。形容のしようがないほどです。

「あぁ、あった!」と老婆は嬉しそうに何やら古めかしい金属の小さな箱を取り出します。

 中には何が入っているのでしょうか。

「はい、これ。幾分楽になるはずわ」

 ニヤニヤと怪しげな笑みを浮かべて金属製の箱を差し出す老婆を、恨めしそうに見つめながらもしぶしぶ黙って受け取るシエロ。

 その箱を耳元で振ってみましたが中からは何の音もしません。

 肩をすくめた老婆は視線を逸らしタバコを吹かします。

 恐る恐るその箱を開いてみると、中には細長い萎れた葉巻がたくさん詰まっていました。

「吸ったら楽になるわ。ついでにさっきのやつの効果も長続き。一石二鳥ね」

 ぷかぁーっとタバコの煙を空へと解放した老婆はシワシワのひび割れた星形のウィンクを飛ばします。

 本当に大丈夫だろうか。

 シエロの頭の中にはそんなことが一瞬よぎりましたが、大人しく従っておくことにしました。乱暴ではありますが、いつだって魔女の言うことは結局のところ正しいのですから。

 葉巻を咥えたシエロはマッチを探しますが、そもそもそんなものを持ってないことに気がつきました。

 それに気がついたのか、老婆はパチンと指で火花を散らし葉巻に火をつけてくれました。

 すぐさまブワッと口の中に葉巻の煙が充満していきます。

 何とも爽やかなその香りは、先ほどまでの不快感を綺麗さっぱりと吹き飛ばしてくれました。

「ふぅ。・・・いいね」

 立て続けに何度かその煙を吸い込んだシエロは、やっとのことシャキッとした思いで顔を上げました。

 それを見て満足げに頷いた老婆はタバコを口に放り込むと「よっこいしょ」と杖を頼りに立ち上がりました。

 気がつけば体調の良くなったシエロは気分が高揚しドキドキワクワクとしてきました。

 葉巻をフカフカとさせたマナーのなっていないピエロ、そしてそれに操られるかのようにしてルンルンと歩く木の人形、さらには不自然に大きな帽子を被り杖などいらないのではないとというほどにスタスタと元気に歩く老婆。

 この奇天烈な三人はラプリナの街を威風堂々と歩き、人々の注目を一身に集めています。

 そんな彼らの視線を十分に浴びた一行はラプリナを後にし首都ラティリアへと向かいました。

 また胸が痛むのではないか、と少しばかり恐れをなしていたシエロでしたが、魔女の魔法はいつだって強力です。

 何事もなくすんなりとラティリアへ立ち入ることができました。

 何年ぶりのことでしょうか。

 久しぶりに見る故郷の街並みは随分と変わってしまったようです。

「なっつかしいなぁ」

 パタムールにとってもこの街は故郷です。ルーフェに連れられて散歩にでも来ていたのでしょうか。

「こっちよ」

 老婆はまるで近所を散歩するかのように慣れた足取りで進んでいきます。

 が、シエロはなんだか記憶も曖昧で今どこを歩いているのかさっぱりと言った様子でした。

 夕焼けの美しさに息を呑みながらそれからしばらく歩くと、とある小さなお店の前で老婆が足を止めました。

『マジディクラ』と書いてあります。

「ここよ」

 その小さなお店の扉にはクローズと書かれた看板がかけられています。

 それにも関わらず老婆は無遠慮に扉へと手をかけるとガチャガチャとノブを回しますが、どうやら鍵がかかっているようです。

 ため息をついた老婆は何やら呟きドアノブを優しく撫でました。

 すると、カチャリと一人でに鍵の開いた音が。

 ゆっくりと扉を開け中に入ろうとした老婆は、シエロの方を振り返りそっと呟きました。

「そこで待ってて。いきなりピエロが押しかけてきたら怖いでしょ?」

 はやる気持ちを抑えシエロは肩をすくめて見せます。

 内心はドキドキでたまったものじゃありません。

 シニーが中に入ると、カウンターの奥から一人の女性が驚いた様子で声をかけてきました。

「あれ。・・・あの、すいません、今日はもう終わりなんです」

 彼女がルーフェの同僚のエイマでしょう。こないだ訪れた時にいたのも彼女です。

 エイマには勝手に鍵を開けたことは秘密です。

 シニーは本物の無力な老婆を装い、優しく声をかけました。

「あらあら。すいませんね。実はね、ルーフェちゃんに会いに来たの。彼女はいるかしら」

 杖をついた弱々しくも優しげな老婆に、エイマは困ったように微笑みました。

「実はちょっと仕事の関係でお客さんと出ていて不在なんです。ごめんなさい」

 エイマはそう頭を下げると「よかったらまた後日いらしてください」と微笑みました。

 お客さんと?こんな閑古鳥が好みそうな店のくせに?

 シニーは内心毒づきましたが、そんなことは表情には出しません。

「あらあら。そうですか、ありがとうね。また出直すとしようかしら」

 物分かりの良い老人を装いそそくさと店を後にしたシニーは、少し離れたところでぼんやりと葉巻を燻らし、空を見上げるシエロへと駆け寄りました。

「ちょっとまずいかも。急ぐわよ」

 急ぐわよ、と言いつつも老婆はタバコを口に咥え今まさに火をつけたところでした。

 ブワァッと美味しそうに吐き出した煙はモクモクと立ち登り、ゆらゆらと風に流されていきます。

「まずいってどういうことだ?何があった?」

 呑気にタバコを吸っている老婆に、シエロの口ぶりには若干の怒気がこもります。

 ふわぁっと再度煙を吐き出した老婆は言いました。

「仕事の関係でお客さんと出ているって言ってたけど、そんなはずないわ。あんなチンケなお店にそんなお客さんなんているはずないじゃない。同伴かアフターじゃあるまいし」

 何やら失礼な物言いと、何やら訳のわからぬ言葉を使った魔女は三度タバコを吸いました。

 パタムールには意味がわかったのでしょうか。肩の上でニヤニヤとしています。

 埒の明かない様子にイライラとしたシエロは老婆からタバコを取り上げると、地面に放り投げ足でぐりぐりとタバコを消しました。

「なら、急がないと!ほんとにレタシモンってやつなら大変だ」

 ゆらゆらと空へと登っていくタバコの煙を目で追った老婆は深いため息をつきました。

 これだから坊やは。と今にでも言ってきそうな顔をしています。

「ねぇ、あんた。未だに彼女のことが好きなの?」

 突然の質問にシエロは面食らいました。

「な、なんだよ、急に」

 ぐりぐりとシエロの目を覗き込んだ老婆は尋ねます。

「どうなの?」

「そりゃ・・・そうだよ」

 なんだか一人気恥ずかしそうに俯いたシエロに、老婆は満足そうに頷き「わかった」と呟きました。

「何がわかったんだよ。って、痛っ!」

 老婆はシエロの髪を引っこ抜くとゆらゆらと目の前で揺らし始めました。

 髪を抜かれた頭を抑え、文句の一つでも言ってやろうと思ったシエロでしたが、どうやら老婆は何やら魔法をかけようとしているらしく、仕方なくグッと口を閉ざしました。

「何してるんだ?」

 パタムールは興味津々と言った様子で目を輝かせて老婆の方へと身を乗り出しています。

「もちろん、魔法よ」

 老婆は髪の毛からじっと目を逸らさずにゆらゆらと揺らし続けています。

 小さな声で何やら呟いていますが、なんて言っているのかはわかりません。

 ですが、段々とシエロの髪の毛が光を放ち始めたかともうと、グネグネと蠢きやがて真っ白に輝く小鳥のような姿へと変わりました。

「スーミレット」

 シニーがそう小鳥に語りかけると、その小鳥は「ピー」っと鳴き、ラティリアの空へと羽ばたきました。

「わーお。シエロ、お前の髪の毛って鳥だったんだな。あはは」

 パタムールが嬉しそうに声を上げて笑っています。

「行くわよ」

 その小鳥がルーフェの元へと誘ってくれるのでしょうか。老婆は空を見上げその小鳥をしっかりと目で追いながら、杖をカツカツ歩きます。

 時折シエロたちの方を振り返り、旋回を繰り返しながらゆっくりとどこかへ飛んでいく小鳥。

 しばらくその小鳥を追って歩いていたシエロたちですが、突如老婆がはぁっと深いため息をつき声を荒げました。

「もう埒が明かないわ!」と、裏道へと入り何やら巾着袋の中をガサゴソと漁り始めました。

 先を飛んでいた小鳥が急旋回し、シエロたちの上空をくるくると飛び回っています。

 なんとも躾のされた賢い小鳥ですこと。

「あぁ、あった!」と目を輝かせた老婆は「よっこいしょ」と何やら重たそうな物を引っ張り出しています。

「たまには魔女らしくしないとね」

 老婆はそう言ってグッと腕を巾着袋から引き抜くと、そこには古めかしい稲箒が握られていました。

「はい、これ」とグッとシエロの胸に押しつけるように渡してきます。

 再び巾着袋の中に手を突っ込んだ老婆は自分の分の箒も取り出すと、嬉しそうに揺らし笑顔で答えました。

「乗り方は、まぁ慣れて!」

 そう言うと箒に跨り、グッと踏ん張って空へと飛び立ちます。

「魔女みたいだ・・・」

 あっという間に空へと舞い上がった老婆を見て、パタムールは呆気に取られたようです。

「早くー!」

 上空で小鳥と共にくるくると飛び回るシニーを見て、慌てて箒に跨るシエロ。

 見よう見まねでグッと踏ん張りますが、もちろん何も起きません。

「飛ぶ!って強く思うのよ!」

 真上からシニーの声が響き渡ります。

「ついに魔法使いの仲間入りだな」

 ニヤニヤと嬉しそうにパタムールは言いました。

 シエロはじっと集中を凝らし「飛ぶんだ」と自分に言い聞かせます。

「飛べ。・・・飛べ!」

 ダンっと力強く地面を蹴った足は再び地面を踏むことはなく、あっという間に大空へと登っていきました。

「はっはっはー!」

 初めての空はどこまでも果てしなく、そこには自由が広がっているようでした。

 空を飛ぶってなんて気持ちが良いのでしょう。

「シエロー!最高だぜー!」

 パタムールも興奮で仕方がないようです。

 まるで鳥になったかのように腕をめいいっぱいに広げて風を感じています。

 自分でもどうしてだかわかりませんが、シエロの乗る箒はコントロールを失うことなく、まるで自分の手足のように一体となっているようです。

「上出来ね!さぁ、行きましょう!」

 そんなシエロを見て大声で叫ぶシニーも楽しげな表情を受けべています。

 シエロたちは先を飛ぶ小鳥の背を追いながら、夕陽に輝く空を飛んで行きました。

続く。

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