【小説】ピエロなシエロのおかしなおはなし Part.18
〜古き良き時代の香り〜
「あの、どちらまで行かれるのですか?」
ディアボロ伯爵に連れられて、早々に店を後にしたルーフェはラティリアの中心街を抜け、今ではすっかりと寂れてしまった旧市街の方まで来ていました。
段々と人気がなくなり、夕刻が近づくその道はぼんやりとしています。
宵の近づく空にはコウモリが飛び回り不気味な雰囲気が漂います。
なんだかルーフェはほんの少しだけ怖くなりました。
まるで子供の頃に戻ってしまったかのような気持ちです。
そんなことはつゆ知らず、伯爵はなんだか嬉しそうに目を輝かせています。
「もう少しで着きますよ」
まるでいたずらっ子のように微笑む伯爵。
ルーフェはそんな伯爵に子供じみた恐怖心を悟られないよう、曖昧に微笑みを返しました。
細く曲がりくねった道を何度か進むと、段々と見覚えのある街並みが見えてきます。
ですが、それがどこだったのかイマイチ思い出せません。
どこへ向かっているのでしょうか。
細長い階段を登ると、やっとここがどこなのかハッキリと思い出しました。
あぁ、ここは子供の頃に住んでいたところだ。
ルーフェは幼い頃に過ごした街を思い出し、なんだか郷愁に駆られました。
どうして伯爵はこんなところに連れてきたのでしょうか。
ルーフェは不思議に思いながらも、伯爵の誘うままにゆっくりと歩いて行きます。
どんどんと見覚えのある街並みが目の前に広がっていき、それに連れてルーフェの中に眠っていた幼少期の記憶がどんどんと呼び起こされていくようです。
ドキドキとする胸を抑え、もう少しばかり歩いた頃、ふと伯爵が足を止めました。
「ここは」
ルーフェは見覚えのある古い洋菓子店を目の前に呆然と立ち尽くしていました。
看板にはガトーショコラ専門店『ミセス・ショコラ』と書いてあります。
「おや、ご存知でしたか」
隣ではディアボロ伯爵が目をキラリと輝かせています。
閑散とした住宅街の中にひっそりと佇むそのお店は、ルーフェにとって馴染みのある懐かしい場所でした。
白を基調としたそのお店は、かつては華やかでとても美しい様相でした。
ですが、時代の流れとともにゆっくりと枯れていってしまったかのようです。
今ではなんだか寂しい雰囲気を醸し出しています。
照明が付いていないせいかもしれませんが。
「え、ええ。・・・知っていますわ」
なんだか不思議なことは重なるものだ。とルーフェは心の中で思います。
「ルーフェさんもここのガトーショコラを?・・・いや、とりあえず中に入りましょう。話はそれからでいい」
伯爵はそう言うとクローズと掲げられたお店の扉へと手をかけ、ゆっくりと開きました。
ギィィ。
寂しげな木の軋む音が鳴り響きます。
店内には誰もいません。
が、奥の方から何やら物音が聞こえてきます。何やら作業でもしているのでしょうか。
なんだか懐かしい香りが鼻を突きます。
ルーフェはドキドキと高鳴る胸を抑えました。
「ごきげんよう。ディアボロです」
ガタガタと物音鳴り響く方へと声を投げかけます。
ピタッと物音が鳴り止んだと思ったら、奥へと続く扉がサッと開かれました。
「あら!こんばんは。おひさしぶりですね。・・・あら?」
その女性は伯爵の少し後ろで控えめに佇んでいたルーフェのことを見つけると、一瞬不思議そうな表情をしましたが、すぐにピンと来たのか満開の笑顔を見せました。
「お久しぶりです」
ルーフェは少しばかり居心地の悪い気分でゆっくりとお辞儀をしました。
「お知り合いでしたか」
その女性の反応に伯爵は少しばかり驚いた様子です。
「ええ。まぁ」
弱々しく笑ったルーフェはすまなそうに改めて頭を下げます。
久しぶりに会うその女性は随分と歳を取っていました。
当然のことです。もう二十年ぶりくらいになるのですから。
その女性はゆっくりとルーフェの方へと近づくと優しく抱きしめてこう言いました。
「おかえりなさい」
なんだかとてつもない安心感が心の中に押し寄せてきました。
彼女はルーフェのしたことを知っているのでしょうか。
心の中で渦巻く安心感と罪悪感に、ルーフェは何が何だかわからなくなってきます。
「話さなきゃいけないことが色々あるわね」
そんなルーフェの顔を見て何かを悟ったのか、その女性はお茶目にウィンクを飛ばします。
やはり知っているのでしょうか。
ですが、怒っているようには到底見えません。
あの頃のままの優しい『ウカおばさま』のままです。
そんな二人のやり取りをディアボロ伯爵は一人取り残された様子で見守っています。
「私は星空でも眺めてくるとしましょう。どうぞ、ごゆっくり」
伯爵は気を利かせたのか、そう言い残しお店を後にしました。
「さすが、できる男は違うわね」
ウカおばさまに誘われるままに椅子に座ったルーフェは、彼女がお茶の用意している間、久しぶりに訪れたミセス・ショコラの店内をしげしげと眺めていました。
まるで時が止まってしまったかのように、あの時と変わらない大好きだったお店のままでした。
ほんの少しだけ古びたなと思ったのはもちろん秘密です。
すぐに紅茶のいい香りと甘いガトーショコラの香りが漂ってきました。
ほんとに懐かしい。
まだ幼かった頃の記憶がどんどんと呼び覚まされていくようです。
「さぁ、どうぞ」
あの時と変わらない優しい笑顔がそこにはありました。
「シエロのこと、よね。ふふ」
ウカおばさまはまるでいたずらの共犯者のように微笑むとゆっくりと席につきました。
「さて、どこから話そうかしらね」
目をキラキラと輝かせながら紅茶を啜ったウカおばさまはあの時と変わらず、優しくおおらかでそして美しい女性でした。
続く。