コラム忍者ウンチク 第1回「変身の術」
「変身の術」と書いて「かわりみのじゅつ」と読みます。「変わり身の術」「変り身の術」と送り仮名を混ぜる表記もあります。
白土三平マンガでお馴染みのあの術であります。
一応、創作の忍術だと言われています。
変身の術とは、自身の気配や居場所を察知した敵に対し、自身と他の物を瞬時に置き換え、敵が攻撃する以前或いは最中に逃げ遂せる遁法です。これが術の概要ですね。
フィクションのわかりやすい表現においては、気配を察した敵が手裏剣を投げる、命中したと思い駆け寄ると、忍び装束を来た丸太とか藁人形に手裏剣が刺さっている、とかいう描写が王道です。着物だけがある、という場合もありますね。
もっと高度なものになると、丸太の代わりに兎等の小動物を使い、その血の匂いによって手傷を負わせたと敵に錯覚させる迄に至りますが、敵が人と動物の血の匂いを嗅ぎ分ける一段上の術者である場合にはそれが見破られるなどの展開になります。
忍術合戦は術の応酬と破り合いがその醍醐味である故、序盤の駆け引きの定番描写としてよく用いられている様です。
白土三平マンガで育った世代にならば釈迦に説法のポピュラーな忍術ですが、同時代に世に出たフィクションでこれが一貫してたかと言うとそうでもない。
まず、白土三平原作マンガの映画化である『ワタリ』の劇中ですら、主役のワタリ自身が敵の行った「かわりみの術」を目の当たりにして「あっ、ヘンシンの術!」と言ってしまう場面があります。
主題歌の歌詞ではちゃんと「かわりみ」という読みのワードとして使われているので、これはもう脚本、撮影現場、編集のセクションにおいて認識がきちんと共有されていなかった見て良いでしょう。原作者の白土先生はこの映画にご不満だったそうですが……。
また『忍者ハットリくん』では同種の術を「空蝉(うつせみ)の術」と呼んでたりします。変身の術は空蝉の応用であるので間違いとは言えません。ですが、通常空蝉というのはもっと広義の錯覚を用いた忍術の総称を言うので、この術に限定して呼ぶのは誤解を招いてしまいかねませんね。
そして問題なのは『忍者ハットリくん』劇中では「変身の術」を別の術の名称として用いている事。
困った事にハットリくんでは変装の事を「変身の術」と呼び慣わしています。そう呼びたくなる気持ちもわかるけど、正直そうは呼ばないで欲しい( ̄▽ ̄;)
特殊な場合を除いて、忍術においても変装は変装。術名とするならば「変装術」と言いますね。
特殊な場合とは、特定の扮装において個別の呼称があるものを指します。その代表的なものが「くノ一の術」と「七方出」でしょうか。
「くノ一の術」は女装の事。
「女」という字を分解すると「くノ一」となる事から、一般に女忍者をそう呼ぶ事で知られていますが、術名としては女に化けることを指し、つまり女装の事を言います。
(厳密には女忍者とくノ一は別種のものですが、かなりややこしい話なのでそれについてはまた後日。)
「七方出(しちほうで)」とは、虚無僧、出家(僧侶)、山伏、商人、放下師(曲芸人)、猿楽師、常の形(武士や農民)という当時ポピュラーな七つの職種の扮装をする事を言います。
「七方出で立ちの事」「七化」とも言われます。
ここで重要なのは、この術は特定の七種の扮装それ自体というより、室町後期から江戸時代全般にかけて「そこら辺に普通にいておかしくない人」に化けることに本質があるという事です。時代が変わればもちろん違うスタイルが選ばれる筈でしょう。
例えば、明治に入ってから上記の様な格好をすれば、逆に目立ってしまうでしょう。
もし、現代に忍者が生きているとするなら、学生やサラリーマン、主婦、工事作業員、宅配業者あたりに変装するのが最も気取られない格好と言えるでしょうか。
七種に限定してというより、例えば渋谷ならストリートファッションであるとか、環境に応じて場に溶け込む怪しまれない扮装を心得る術なのです。
少々脱線しましたが、忍者ジャンルのフィクションの黎明期においては術名の不統一があってもこれは致し方ありません。
まだまだ資料が乏しかった時期に、様々な作家がそれぞれに調べた結果から虚実綯い交ぜで作品内に忍術を送出していたわけです。
それがある程度、フィクションにおける忍術の常識として統一を見るのは、ぶっちゃけ池波正太郎と山田風太郎と白土三平を読んで育った世代が書く側に転じるのを待たねばならなかったのです。
しかし、一方で忍者フィクションを二次資料として書かれた作品においては、ある作家の創作の忍術、忍具が創作と知らずに蔓延する例も実は多いのです。それを知って使うのと知らずに使うのとでは大違いなのですが、その実例についてはまたの機会に。
次回は、変身の術と並ぶポピュラーな忍術「分身の術」について一献傾けようと思います。
─つづく─