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ヨガから学ぶ脳の使い方〜大いなる真剣さとは〜

前回の続き。
'ヨガの最中に考え事をしてはいけないんですか?'
という質問に答えていきたいと思います。

詳しくはこちら
>ヨガから学ぶ脳の使い方。なぜヨガの最中に考え事をしてはいけないのか?


今日は回答2つ目の
②エッジを引き出せていない
について語ってみたいと思う。

②エッジが引き出せていない

エッジというのは端の意味である。
これはヨガ的には
大いなる真剣さ
を意味し、
ヨガ的に生きるとは
大いなる真剣さで目の前に向き合うこと
を意味する。

後述するが、
これは全力とか頑張るとかそういう意味ではない。
ただ大いなる真剣であること、である。

ヨガにはヨガ哲学というものが存在し
マットの上の哲学と言われている。
「マット?哲学?
ヨガって柔軟性を上げるものでしょ?」
確かにつながらない。

が、そこがまさに哲学である。
全く体が硬い人が柔らかくなり、ポーズを経ていく過程。
人間の本質、真理を、
身体を使いながら
解いていこうというのがヨガ哲学だ。

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では、身体がかたい人に必要は事は何だろうか。
柔軟性?呼吸法?ストレッチ?

いやキーポイントは、
もっと深い所の「状態」にある。

ヨガは、ある二つの「状態」を
作り出すことによって
その真理を解こうとする。

それが
アビヤーサ(修習)バイラ―ギャ(離欲)
だ。

一つずつ見ていこう。

①アビヤーサ(修習)

アビヤーサはサンスクリット語であり、
日本語では修習と訳される。
これは、目の前の事に最大限真剣であること、の意だ。

’最大限真剣’

そう、真剣。
竹刀ではない。
それは’真剣’なのだ。

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息を張り詰めるほどの今ここの状態で、
それに向き合う。
これは、無理に力を入れるとか頑張るという意味ではない。
ただ、大いなる真剣であること。
そして、これを自分で引き出す必要がある。

本当に真剣勝負の時は、いやがおうでも真剣になれる。

しかし、オリンピックの選手に選ばれるためには
試合だけが真剣ではダメだろう。

1日1日の練習でいかに真剣に望めるか。
それが、結果的な試合のパフォーマンスを決める。

だからこそ、何気ない練習
(ヨガではプラクティスというが)
で真剣さを引き出せるかが大切だ。

と、ヨガ哲学は解く。

②バイラ―ギャ(離欲)

アビヤーサの後にもう一つ必要な事。
それがバイラ―ギャ、日本語では離欲と言われる。
つまり、’欲を手放す’こと。

欲とは?
葛藤のニュアンスがわかりやすいかもしれない。

今大いなる真剣さで向き合ったことに対して
どんな結果であっても
それを受け入れること。

「なんで自分はできないんだ」
「あの人は出来ているのに」
「もっとできるはず」

そんな風に、周りや理想の自分と比較し
「こうありたい」という欲を手放し、
今の自分をありのままに受け入れること。
現在地を認めること。

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理想を持つのも、高みを目指すのも素晴らしいことで
私達は必ずそこにたどり着ける。

でもその為にはまず現在地を認める事。
現在地からの景色でしか、
私達は次を目指せない、とヨガ哲学は説く。

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では、バイラ―ギャの後に必要な事、
自分の「こうであるべき」という欲を手放した後に
必要なことはなんだろうか。

そう、アビヤーサである。
過去の出来なかったことや劣等感、比較に苛まれずに、
今の自分を受け入れた上で引き出される
大いなる真剣さ。

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大いなる真剣さと、自分の欲の放棄。
その繰り返されるプラクティスを経て
人は変われるとヨガ哲学は教えてくれる。

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だから、身体的な条件がない限り
どんな人も変われると私は思う。

運動音痴で、運動部に所属したこともなく、
リレーの選手の類にも選ばれたことのない私でも
10年前は手が床に全くつかなかった私でも
少しは変われたから。

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繰り返すが、ポーズが出来ることに意味はない。

ただ、真剣さと放棄の繰り返しにより
起こる「状態」に意味がある。

そしてそれこそ、ヨガのエッジである。
それは無理に頑張ることでも、
力技でポーズをとることでもなくて。
ただ真剣にいる事。

その状態を理解できるようになると
日常生活でもそれを引き出せるようになる。

ただ最初は難しいから
マットの上で体を使って学ぼうね。
というのがヨガ哲学だ。

これを踏まえ最初の質問に戻ろう。

'ヨガの最中に考え事をしてはいけないんですか"

ヨガの最中に考え事をしている場合
真剣さが「大いなる」状態ではないので
少なくともエッジではないと思う。

もちろん人間なので
そんな日もある。

そんなときは
「いつも最大限真剣にいられる自分ではない」
という事を認めながら
それでも「最大限真剣でいる」ことに
努めることが
ヨガに必要なプロセスだと思う。

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ヨガはマットの上の哲学です。


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