年末

年の瀬である。
いつも通りに昼近くに起きて、このままでは毎年恒例の一人初日の出ツアーができるかどうかやや不安である。

そう、初日の出。我が家では毎年恒例で、自分が代表として初日の出を拝みに行くのである。幸いなことに、家の近所が海岸線のため、歩いて十数分でテトラポッドにたどり着く。
昔はプチ家出とか嫌になった時に行ったりとかしていて、もはや海岸線のテトラポッドは足元が暗過ぎなければ上を行き来して安定の場所までたどり着けるのである。
数年前にはあったかい飲み物を落として、それを回収するのにテトラポッドの隙間にもぐったりもしていた。要はテリトリーなのである。

なぜ初日の出を見に行くかと聞かれると、すぐには返答ができない。
このページでそのことを書くまでは「なんとなくだったなぁ」という感想なのだ。
新年早々に冷えるコンクリの塊に座って、凍えかけながら見る日の出なんて、人によっては御免被りたいかもしれない。けれども、自分にとってはなんというか、ゲン担ぎのようなものなのだ。
一年を通して、特段何かいいことがあったり不幸があったりすることもないのだが、なんというか、こう、「節目」的なサムシングだ。
何がしらのバフを受けるわけでもないし、それぞれ見に来る家庭の年代層もまばらな中、一人ギリギリを攻めたテトラの上で新年を待つ。それが何とも言えない妙味なのだ。

それで思い出したが、先日行ったパチンコで、夢で見た数よりも多く玉数を獲得して、それで飲みに行った。
自分としては、基本的にもうギャンブルはしない感じなのだが、夢で万発超えを見ると行きたくなってしょうがない。
個人的には「お告げ」のようなものだ。お金を下ろして、ふらりとパチ屋に入り、気になっていたor夢で見た台で打つと大体勝つのである。完全にオカルト打ちだ。
それでもやはり幸運の女神さまは微笑まないときもあるが、そんな時は追加で万券を放り込む。すると大体放り込んだ以上で帰ってこられるのだ。

それでもやはりギャンブルはギャンブルなので、滅多に行かないようにはしている。

初めてパチンコを打ったのは大学生の時だ。親しくしていた友人に連れられて、学生街にあったパチンコ屋に足を踏み入れた。
最初は訳も分からず、ただハンドルを捻って「なんかパチンコ玉がいっぱいだなぁ」と思っていたのだが、そのうちジャンジャカビカビカ光りだして当たったのだ。確か機種はマクロスFの2の甘だったように思う。
結果的に+3kというちょっとしょぼしょぼな額で一応は勝てたのだが、そこからはハマってしまった。
以来、講義の間で1コマ以上空いた時には、大学から坂を下って駅周辺のパチ屋に入り、適当に打って、数千円から一万円弱を溶かしたり勝ったりして過ごしていた。
なお、オカルト打ちとしては、余りにもヘソに入らず一旦打ち出しを止めて最後の弾がOUTに吸い込まれてから次を打ち出し、それもダメならまた打ち直し……という「乱数リセット」打ちや、音量光量を最大にする「音量最大教」、当たった時に台に感謝する「ありがとうBONUS」、何かしらの不具合で呼んだ店員さんに丁寧に対応する「感謝します教」などがある。
どれもこれもオカルトの域を出ないのだが、これをやっておくと大体勝てるのだ。不思議なものである。

とりあえず今年分の運は使い切ってきたので、新年初打ちやその後はどうなるかは全くわからないが、もし行くのであれば+で帰ってきたいものだ。

といったところで、今年の記事は終わりである。
年末に始めて、その後ちょっと放置して、結果的に書いたのがパチンコのオカルトかよ、と思われても仕方がないが、話題として挙げられそうなのがこれだけだったのだ。

これを読んでくださった方へ、よいお年を。そして、来年も記事を(不定期更新だが)書いていく予定なので、来年もどうぞよろしくお願いします、といったところだ。

ではでは、また来年に。

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