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「本当の母じゃない」授業参観で蘇る母との記憶
今日は小学1年生の娘の授業参観日。
授業参観と聞くと、苦い思い出が蘇る。
私が小学校3年生の授業参観前日のこと。
母は私と弟の授業を両方見なくてはならず、夕飯中に面倒くさいとぶつくさ文句を言っていた。
その日はとくに機嫌が悪かったのだろう。ご飯を食べているあいだはしゃべってはいけないといつも厳しく注意する母が、自分のことは棚に上げてぐだぐだと文句を言うのに嫌気が差した。そこで、私はとっさに言ってしまったのだ。
「どうせ本当のお母さんじゃないんでしょ、だから私の授業参観は見に来なくていいよ」
私は、自分が橋の下で拾われてきた子どもじゃないかと前から疑っていた。
橋の名は忘れてしまったが、小学校の通学路上に川があり、××橋という橋が架かっていた。当時、言うことを聞かない子どもらに対して「お前は××橋の下で拾ってきた子どもだ!」と大人が言っていた。そのせいで、子どもたちはその橋を通るたびに「俺この下で拾われた子どもだからさー」と冗談交じりに言ったりしていた。
私は弟と違って、母から明らかに差別され疎まれていた。私に接する母と弟に接する母は、ときに別人のようだった。「橋の下で拾われた子ども」はあながち冗談ではないような気がしていた。本当の母じゃないなら、辻褄が合う。あの橋の下に捨てられたのかもしれない。そう思うことで、自分の不遇に折り合いをつけていた。
私の言葉を受けて、弟が「本当のお母さんじゃないの?」と不安そうに聞いた。私は「あんたにとっては本当のお母さんだから大丈夫だよ」と弟を小馬鹿にするように答えた。
もうどうにでもなれと思っていた。溜めていた心の内をさらけ出したら、解放された気がした。怒鳴るなら怒鳴れ。夕飯を取り上げるなら取り上げろ。口火を切ったことでヤケになっていた。
しかしながら、さっきまで饒舌に愚痴を吐きまくってた母は、私の予想に反して急に押し黙った。
私が何か生意気なことを言ったり、母の意に沿わない発言をすると、いつも怒鳴り散らして「屁理屈ばっかり言いやがって!」と怒る母がだ。
無言でご飯を食べる母の姿を見て、私は焦った。いつもの怒りの反応と違う。母は下を向いて、黙々とご飯を食べ続けた。空気が一段と重かった。私は何か大きな間違いを犯したかもしれない――そう感じたが、放った言葉は撤回できない。
いつも空想していたのだ。私のお母さんはこの人ではなく他にいて、弟とは異母兄弟じゃないかと。そうすれば、父が女好きであることも、母と私に似た要素がなく、私が父にそっくりなのも納得がいく。弟とだって似ていない。私は、親に愛されない悲劇のヒロインとして、現実逃避するための物語を自分の中で作り上げていた。
でも、母の無言の反応を見て、なぜか腑に落ちた。他に本当の母なんかいなくて、私はこの人の子なんだと。もし私を産み捨てた母がいたとしたら、そっちの方がよっぽど酷い母だ。この人は、なんだかんだいって私を育ててくれている。常にイライラしなからも、こうして毎日温かいご飯を出してくれる。毎回、授業参観にも来てくれている。
弟との扱いの差で、なぜ私だけ冷遇されるのか不満や疑問は残るが、この人は私の母だと確信した。
翌日の授業参観日、きっと私のところへは母は来ないだろうと予測していた。だけど、母は弟の教室から私の教室にも足を運び、後ろで授業を見て行ったのだ。イツハのお母さん来てるよ、とこっそり隣の子が教えてくれた。私は涙をこらえるのに必死で、後ろを振り向けなかった。
人に言ってはいけない言葉はたくさんある。一度口に出して、相手の耳に入ってしまったら消えない。あれからもう30年も経つが、このときのことを母は覚えているだろうか。私と同じように、授業参観が来るたびに思い出していただろうか。
子どもの頃、母から傷つけられることばかりではなく、私が知らぬ間に母を傷つけていたこともあるだろう。傷つけられた方は忘れないというが、傷つけた方も忘れられないことはある。「本当のお母さんじゃないんでしょ」――母を一番傷つけたのではないかと自覚している言葉。私の後悔はずっと消えないままだ。
娘の授業参観をきっかけに、心の奥にしまっていた後悔を思い出した。もし、娘に同じことを言われたら私はどう思うだろう。
「つらい不妊治療と出産を乗り越えて、ここまで育ててきたのに」と怒るだろうか。「そんな風に思わせてごめんね」と母としての愛情不足に不甲斐なさを感じるだろうか。
あのとき無言を貫いた母は、どう思っていたのだろう。
私は長女だから、母にとっては初めての育児。お腹を痛めて産んで、毎晩泣かれて寝れないのに、夫は夜遊びに夢中で家事育児にほとんど協力してくれない。1年半後にもう1人子どもができて、ひとり孤独に幼子を2人育てていた母。
子どもを産み育てて、母の苦労に思いをはせるようになった。
毎日イライラしていたのも分からなくもない。私は男の子を育てたことはないが、周りの話を聞くと、女の子より男の子の方がかわいいと言う母親が多い。
兄弟で差別してはいけないというが、親子にだって相性はある。女同士であること、自分ではなく夫に似ていること、小さなことの積み重ねが私たちの相性にヒビをいれたのかもしれない。
母を許せないことはたくさんある。けれど、本当は許したい。そして、あのとき軽い気持ちで放った私の暴言も許してほしい。
いつかきっと。どちらかが死ぬ前に。