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わたしの名前

 名前――親が子どもに贈る最初のプレゼント。ここでは本名を公表できないけれど、私の名前は私にはそぐわない。私の名前の音は日常的によく使われている。本にも歌にも登場する。どこにいてもその言葉を見聞きする。幼い頃から、いい名前ね、珍しい漢字ね、と言われても一向に好きになれなかった。

 親が私につけた名前の、真の由来を知るまでに40年かかった。



 小3か小4の頃、自分の名前の由来を調べる宿題があった。
 私は、名づけは父だと思い込んでいた。なぜなら、母は私の名前の漢字を揶揄し「そんな名前だから女のくせに頑固なんだ」と常々言っていたからだ。母自身が名づけたなら、そんなことは言わないはず。繰り返し言われたことで刷り込まれ、自分の名前を漢字で書くたびに「私は頑固な人間」と思うようになった。

 頑固というのは、決して悪い側面ばかりではない。けれど、母の口調からはいいイメージがまるでなかった。柔軟性がない、意固地、強情、融通がきかない――確かにそうかもしれない。名は体を表すというくらいだ。

 母はめったに私の名前を呼ばない。めったにというより、もはや呼ばれた記憶さえない。私は母から「お姉ちゃん」と呼ばれていた。弟たちのお姉ちゃんであって、お母さんのお姉ちゃんじゃないのに、といつも喉元まで出かかっていた。
 一方、弟2人はちゃんと名前で呼ばれていた。名前の音にちなんだ愛称すらあった。彼らの名は母が好きだった漫画の主人公の名前からつけられたと聞いた。

 母が私の名前を呼んでくれないのは、憎き父がつけた名前だからだ。男に生まれた弟たちは可愛くて、女の私は可愛くないからだ。私をひとりの人間として認めていないからだ。だから、母は私を属性で呼ぶのだろうと子供ながらに思っていた。

 父が運よく帰宅していたら父に訊ねるつもりだったが、夜になっても父は帰らない。私は母の顔色を常に窺っていた。母は家の中では常に機嫌が悪く、弟はまだしも私が話しかけようものなら、キッと睨みつけて「何、なんか用?」と冷たく言うのだ。それでも、明日までの宿題に手をつけなければならない。
 躊躇しながら、母に宿題の内容を話した。私の名前は誰がつけたのか、どういう由来があるのか。
 母はぶっきらぼうに言った。「名づけの本を買ってきて、たまたま開いたページに書いてあった名前にしただけ」と。

 私の名前は父ではなく母がつけたのかと驚いた。それも適当に。珍しい漢字だったから、なにか特別な由来があるのだと思っていた私は、ひどく落胆した。

 母から聞いた内容をそのまま宿題のプリント用紙に書くのは憚られた。私は子どもの頃から嘘ばかりつく姑息な人間だ。「名づけの本を見ているときに、ベランダから風が吹いてページがめくられて、そこに書いてあった名前が気に入ってつけた」というようなことを書いた。今思えば胡散臭い。けれど、私は親から愛されている子なんだと示したかった。ただの偶然で適当につけらたなんて、惨めで書けなかった。

 嘘をつくとき、自分が作った物語に自分を洗脳する。母はとっておきの名前を運命的につけてくれた――そう何度も何度も脳にインプットする。そうすると、頭の中だけは母に愛されている別の私になれる。私はいつもそうだった。妄想が、あの家で私の生きる術だった。

 希望、前向き、優しさ、強さ――名前が持つ音のイメージはポジティブだ。私は与えられた名前の通りに自分を演じていた。学校では優等生で目立ち、友達には優しく、好きな言葉は一生懸命や努力。一歩家の外を出れば、名前に恥じない私がいた。けれど、家の中では正反対。孤独で、暗くて、日陰にいる存在。まるで人格が異なっていた。

 友人でも恋人でも、つきあいが深くなると、私のその二面性に気付きだす。はっきりと、名前と本当の性格は逆なんだねと言われたこともあったくらいだ。

 名づけの本当の理由を知ったのはつい先日、私の娘と母がLINEのビデオ通話をしていたときのことだ。
 今年になって、5年ほど絶縁していた母と連絡を取るようになった。完全に和解したとは言えず、今はまだ雪解けが始まったばかりにすぎない。私と母はまだぎこちなさが抜けず、娘を介さないとうまく会話ができないでいる。

 通話中、娘が母に「おばあちゃんの名前ってなあに」と聞いた。母は「おばあちゃん、へんな名前だから教えたくないな」と言った。母が自分の名前を嫌悪しているのは、幼い頃から聞いていたので知っている。たしかに古風で珍しい名前だが、言うほどおかしな名前でもない。表記がすべてひらがなであることも気に入らなかったようだ。

 娘にしつこく食い下がられ、母は自分の名前を告げた。娘は「全然へんじゃないじゃん!おばあちゃんがへんなの」と怒ったように笑っていた。
 そして、母に「○○ちゃんの名前はいい名前だね」と言われた娘は、いつもと同じように自分の名前の由来を話し始めた。

 私は妊娠中、お腹の子が女の子だと判明してから、かなり時間をかけて娘の名前を考えた。やっと授かった子どもへの初めてのプレゼント。私が好きなもの、好きな音、好きな漢字、こんな風になってほしいという願い。それがすべてあの子の名前に込められている。どうか、この名前を好きになってくれますように。そう思いながら。

 娘が自分の名前を認識し、文字を知るようになってから、何度も名づけの理由を伝えてきた。娘は自分の名前を気に入ってくれている。誰かに「すてきな名前だね」と言われると、「ママがつけてくれたの」と嬉しそうにして、聞かれてもないのに名前の由来をべらべらしゃべるのだ。
 
 母と娘の通話中、私はふと母に訊ねた。「私の名前って、名づけ本から適当につけたんだよね」と。嫌味を言うつもりは決してなかった。ただなんとなく話の流れに乗っただけだったのだ。そしたら母は悪びれもせず言った。「親が子どもの名前を適当につけるわけないでしょ」と。

「あの頃、あの読みであの漢字使う人いなくて、あの字には明るいイメージがあっていいなぁと。女の子だし、自分とは違って明るい子になってほしいなって。よく考えたらあの漢字、他の漢字にも入ってるでしょ、これだと思ったのよね」

 母は忘れているのだ。私に話した由来を。なんであのときそう教えてくれなかったのだ、とは言えなかった。言ったところであの日には戻れない。私はもう母と仲違いをしたいわけじゃない。心の底では母を許したいのだ。

 娘を産んだことで、良くも悪くも気づいたことがある。私は毒親育ちであること。そして、自分自身が毒親の要素を持っていること。母親というのは偉大な存在であり、ただの女でただの人間ということ。子どもを育てることの大変さ、夫との関係構築の難しさ、簡単に放棄できない責任の重さ、命は有限かつ奇跡であること。

 娘を産んでいなかったら、毒親をテーマにした記事は書かなかった。母と絶縁することもなかったかもしれないが、復縁することもなかった。毒親になることはなくても、毒親育ちと気づくこともなかった。自分の抱えている問題を深掘りして、今に繋げていくこともなかった。

 ほんとうの名前の由来なんて、一生わからないままだったに違いない。適当につけられた愛着もわかない名前を呪って死にゆく運命だったかもしれない。

 音と字で明るい子に育ってほしいと願ってつけられた名前。私の名前にはほんとうの由来があった。名前を自分で呼んでみる。名前を指でなぞってみる。少しだけ、愛しい。その分だけ、母を許そうと思った。









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