【映画感想】林眞須美は無実かもしれない/和歌山毒物カレー事件『Mommy』
キッチンの換気扇の下、タバコを吸う男性。
まるで煙を吐くことを知らないかのように、ニコチンの毒を極限まで吸って吸って吸って吸う。口からタバコを離すのは一瞬だ。吐き出されない煙はすべて、体内に吸引されていく。吸われるたびに点滅する火が、タバコを挟んだ指に近づく。
この独特な喫煙シーンは、彼の孤独と焦りを表しているようだ。強制的に課せられた死刑囚の息子という宿運——。
先日、『Mommy』を観た。和歌山毒物カレー事件のドキュメンタリー映画だ。ポスターに書かれた「母は、無実だと思う。」の白文字。林眞須美死刑囚の長男の言葉。
庭先から報道陣に向けて、ホースで水をかける林眞須美の姿は、テレビで繰り返し見たのでよく覚えている。毒婦、と呼ばれていた。一連の報道は、林眞須美が犯人だと明らかに示していた。私自身、その報道を疑わずに彼女が犯人なのだろうと思っていた。
冤罪かもしれない――その話題が出てから、本当の意味でこの事件に興味を抱いた。私は「死刑、冤罪、復讐」をテーマにした実話や物語に元々関心が強い。
死刑判決が確定したものの冤罪の可能性が強く、再審請求となった件は数多くある。最近では、今年の6月に飯塚事件の再審請求が棄却されたばかりだ。また、袴田事件では再審請求が通り、結審まで終わっている。袴田事件の再審判決は9月26日。この記事を書いた3日後に迫っている。
※2024年9月26日、袴田さんの無罪判決が確定しました
袴田巖さんは現在88歳。30歳で逮捕され、2014年3月に釈放されるまで47年ものあいだ収監されていた(世界最長の収監)。死刑囚として異例の釈放をされたものの、検察の自白強要と証拠の捏造で、58年間も無実の罪を強制的に背負わされた。
袴田さんは長年の拘束により拘禁反応を発症し、妄想世界では「儀式」という言葉を連発。事件も裁判もなかったと発言している。無罪を勝ち取ったことを姉のひで子さんが告げるも、ひとことも発しない袴田さん。自分が冤罪であったことも、無罪となったことも理解できないくらいに精神に異常をきたしている。本人や家族が背負った代償は計り知れない。
たとえ謝罪を受けようが、賠償金が支払われようが、狂わされた人生は取り戻せない。
果たして検察は控訴するのだろうか。
和歌山毒物カレー事件では、2002年の第一審で林眞須美が死刑判決を受け、2009年に確定された。現在、3回目の再審請求中だ。刑の執行を遅らせるため、何度も再審請求する者もいると聞く。しかし、再審請求中の死刑執行は必ずしも行われないわけではない。
死刑執行は平日の朝と決まっている。執行の数時間前に本人に告知されるらしい。林眞須美も明日、刑が執行される可能性がないわけではない。本人、家族、冤罪を信じている人々は毎日、この日を恐れているはずだ。
興味を持ち始めてから、和歌山毒物カレー事件関連の書籍をいくつか読んだ。林家の長男の著書やYouTubeもチェックしていた。
冤罪かもしれない根拠が至るところに散りばめられている。自白なし、動機なし、証拠なし。この映画を見てさらに、冤罪の可能性を改めて認識した。過熱報道の影響と杜撰な捜査は明らかだ。「疑わしきは罰せず」の原則は完全に無視され、「疑わしきは罰す」とされている。消去法で林眞須美が犯人とされた印象が強まった。
長身で細身のシルエットの長男は、素性を隠す意図もあるのだろうが、いつも黒い服を着て、黒のサングラスをかけている。一人暮らしの部屋は物が少なく、殺風景。光を完全に遮るような黒いカーテン。少し舌足らずながらも穏やかで愛想の良さそうな話し方と、生活に滲み出る暗さにギャップを感じる。
彼の著作『もう逃げない。~いままで黙っていた「家族」のこと~』では、事件から一変した自身の状況や心境が、日記のように書かれていて大変読みやすい。淡々と書かれている残酷な境遇に、痛切な思いを抱く。この本でも映画同様に、マスコミの取材や、警察の捜査に対して多くの疑問が提示されている。父の林健治は、眞須美から何度も離婚届を突き付けられても提出せず、長男とともに妻の無実を訴えている。
映画のポスターに書かれた「母は、無実だと思う」という言葉。「無実だ」と言い切らず、推測に留まっている。
保険金詐欺の余罪がなければ、犯人として槍玉に上げられなかったのかもしれない。まったくの無罪ではないが、果たして眞須美は「人殺し」をしたのだろうか。私たちは、人殺しをしていない人間を見殺しにしてもいいのだろうか。
証拠の検証が不十分であることから、個人的には冤罪の可能性が高いと感じるが、真実は分からない。分からないからこそ、もう一度検証するべきではないか。人間はいつだって間違いを犯す。間違いがあった可能性を検証せず、訂正しないまま、罪を被せ続けてはいけない。
冤罪は国家権力の犯罪だ。人の人生を奪う取返しのつかない行為だ。このまま再審請求が通らず、死刑が執行されてしまうことだけは避けなければならない。
林眞須美は37歳で逮捕され、現在63歳。26年間自由を奪われ、母として4人の子どもの成長を見守ることができないまま、時計もない3畳の部屋で孤独に耐え続けている。もしこれが冤罪で、生まれたときから決まっているとしたら、あまりにも残酷な運命だ。
また、この映画では冤罪の可能性を訴える目的のほかに、もうひとつの目的が描かれていた。映画の冒頭で、被害者家族が現場で花を手向けるシーンがある。この撮影方法に私は疑問を抱いたのだが、最後に明かされる内容で辻褄が合う。報道や取材の在り方について、映画を通して再考する目的があったのも良かった。
内容が内容なので、上映館や期間が限られているが、ぜひ見ていただきたい。映画と合わせて、本文で紹介した長男の書籍も読むとより詳細が分かる。
死刑が認められている日本。
冤罪で、人の人生や命を奪うことなどあってはいけない。
この映画と袴田事件の無罪判決をきっかけに、和歌山毒物カレー事件の再審請求が通ることを祈ります。