人生は知的なゲーム
penautsの作者の名言で、人生は配られたカードで勝負するしかない。
というものがある。
まさにその通りで、まだまだ技術の進歩は未熟で、簡単にイケメンになれたり、運動神経抜群になれたり、天才に寝れたりするのは今の時代では難しそうである。
漫画やゲームでいうキャラクターの様な特性を持って、人は生を受ける。
中には、まさにハードモードといった、初めから何も与えられない様な状態からスタートする様な人生もあると思う。
ただ、だからと言ってそういった人生がつまらないのか、というとまた違ってくると思う。
もちろんある地点からのみの観測であれば、他と比べると良くは見えないかもしれない。が、また別の方向から見てみると、0を1にする喜びが得られる機会を与えられている、とも取れる。
また、方向を変えてみてみると、イージーモードの人とは違った能力を育てる機会を与えられている、とも言えるかもしれない。
配られたカードが強ければと良いほど、ただカードを切るだけでそのゲームについて考える必要も生まれないかもしれない。そんなゲームをしても、喜びは得難く、達成感を得るには尚更難しい。
配られたカードが小さければ、そのカードでどう戦うか、考えるしかない。勝つのは難しいかもしれない。ただ考える。
少しでもうまくいけば、それは本当に楽しい気持ちになるだろうし、喜びを得ることができる。
また、そのゲームに勝つことができれば、それは達成感もひとしおだろう。
人生はまさにこんなもので、我々が絶対だと思い込んでいる様な価値観は、一部のどうしても上に立ちたい人間が作り出した幻想に過ぎず、それを崩したくない、またはより加速させるための装置であることに過ぎない。
考える。疑う。それは自分の人生に対して、yesを生み出すための大事なはじめの一歩なのたと思う。
そして、人生なんというものはある種のゲームの様に、できる限り楽しく酸いも甘いも、一歩離れた場所から覗いていれば良いと思う。