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コロナかで外国に来て思う日本という国の特殊性

最近、2020年冬、コロナの流行がピークとなっている時期に海外に来ました。

なぜ来たのかというと、以前から決めていたので、という事の以上でも以下でもありません。

コロナに関しては注意すれば大丈夫だろう、という考え方です。


今いるのは、東欧の国ブルガリアです。

EUの国の多くは現在でも日本人の受け入れを行なっています。

 

日本人は気にしすぎなのではないだろうか

このようなことを書くと、誤解を生む可能性もあると思うのですが、それでもやはり思ってしまいます。

マスクはもちろんした方が良いし、人会うのもなるべく避ける方がもちろん良いとは思いますが、、

それを気にし過ぎるあまり、経済が滞ってしまう事があっては本末転倒な訳ですよね。。毎年インフルなんかでなくなる方より今のところ死者は少ないはずだし、、その辺りの感覚がいくら考えてもよく理解できません。

 

コロナかで激化するフランスのデモ

フランスでは、感染者が収まらないので、政府が厳しいロックダウンをしていますが、関係なくデモが頻発しています。

日本のテレビのニュースなどでは恐らくあまり取り上げないんだろうと思います。

彼らは自分の生きたい様に生きさせろ、と最近はプラカードを持って叫んでいる様です。

感染して死ぬのはもちろん嫌だけど、それよりも飼い慣らされる様に生かされるのを嫌う、とでも良いのでしょうか。

いかにも欧米的な考え方で、日本にはない考え方なのでは無いかと思います。

 

同質性を求め過ぎる日本人の特殊さ

最近では、不倫など本来内輪の問題でも関わらず、見つかると世間から一斉にたたきを喰らう、電車の中でマスクをつけていないだけで、文句を言われる、少しでも異質なものが近くにあるとすぐに排除しようとする、という様な少し強力過ぎる同調圧力の様なものが最近の日本には特に蔓延していると思います。

島国ならではでもあるとは思いますが、清廉潔白を求めるというのはもちろん良いことだとは思いますが、それを叩いている時点でその人はもはや黒であるという自覚を持っていません。

なぜか多数派となれば、間違ったことをしても許される様な空気が、昔からですが特に最近は目立つ様な気がします。

 

多様性がないという危うさ

前の戦争時に、日本人のほとんど全員が目の前で起きている事に、疑いを持つ事ができませんでした。もちろんそうした事が許されない事であったこともあると思います。

それを経て、今では恐らくほとんどの人があの様なことを2度と起こしてはいけない、と思っていると思います。

ただ現状の状況を見ると、一度前の戦争と同じ状況下になった時、この同質性の様なものが働くと、恐ろしい事がまた起きる可能性も否定できないのではないか、と最近の日本の状況を見ていて思います。

 

ポストコロナへの希望

今は、コロナの影響下で多くの人が、未曾有のストレス下にあるということも影響していると思います。少しのことで気が立ってしまったり、ということもあると思います。

世界中の国がもう一度開き始めて、その時には、今よりももう少し多様性に寛容な社会に日本がなっていると良いなという希望を持ちつつ、わずかでも自分がそこに寄与できれば良いなと思っております。


ー 感染者に関していえばもちろん世界中が治って、往来が始まりつつある中で一国だけ感染者が多数いる国には、中々往来もできず置いてけぼりになる可能性もあるので、感染者が少ないということに越したことは無いとは思っています。

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