能動的人生か受動的人生か
能動的に生きる人、受動的に生きる人。
とかく人の種類は色々といるが、能動的に生きている人は、受動的な人生を生きる人よりも楽しそうだ。
スポーツ選手を見れば、わかるが、プロのレベルでやっている人に受動的な生き方で上手く行く人など誰一人としていない。
皆、幼い時から自分から夢を描いたり、精一杯練習に打ち込んだりする。
能動的に生きることと、受動的に生きることの違いとは一体何だろうか。
仕事を考えてみた時に、今日もこれをしなければならない、や、とかく嫌々仕方なくするという様なものが受動的な生き方だ。その逆、能動的な人は、これがしたい。あれがしたい。で動く。
仕事についても、これをこうしたいから、こうする。という自発的な動機が元にある。
こうして例を挙げただけでも、やはり能動的人間の方が楽しそうだ。
とはいえ、なぜ能動的な場合と、受動的な場合に別れるのか、というところだが、ある程度優秀な親の元で育たないと、日本人の場合は能動的な生き方を得るのは自然には難しいだろうと思う。
では、後天的にしか、多くの人にとっては、能動的生き方を手に入れられる方法はないと思う。
どの様にして得られるのか。
受動的な生き方であることをまずは、気づくことが初めに大事なポイントだと思う。
もちろん受動的な生き方をしていても、恋人ができたり、結婚したり、子供ができたり、家庭を持ったり、といった何かしらのタイミングでスイッチが切り替わり、能動的な人間に変わると追うこともあるかも知れない。
しかし、そういったことがなければ、一度ふと立ち止まって考えてみることが大事なのではないだろうかと思う。
借金が、ローンが、奨学金が、、と色々な事情で立ち止まる訳にはいかない場合も多いと思う。
でももし、少しでも時間に余裕があるのであれば、自分を見つめ直してみる時間を持ってみるのも良いのではないだろうか。
それが、生き方を変えるきっかけになるかも知れない。
能動的に生きるために
まず時間に少しでも余裕があれば、立ち止まることが大事だ。
立ち止まって、自分の心の声に耳をすませてみよう。
自分の心の声を聞き取れたら、ちょっと常識に外れていたとしてもうけいれて、できる限り行動してみよう。
もし、自分の心の声に沿って、少しでも行動できればきっと自分の心の喜ぶのが感じ取れるはず。
自分の心が喜ぶことを感じることができれば、その一連の流れを何度も繰り返してみよう。
そうすると、次第に肩の力が抜け、あらゆる感覚が蘇ってくるはず。
普段、押し殺しているものが多ければ多いほど、この感覚はより強く感じられるだろう。
こういった行動を続けていると、何故か今まで自分ん自身を縛っていた、ねばならないといった感情から少しづつ自由になってくる。
そうしていると、何故か上手くいく、といった謎の自信の様なものが出てくると思う。
自身が出てくると、今度は不思議なことに視界が広くなってくる。
そうなると、狭い価値観でものを見る必要がなくなる。気がつくと、新しいことに手を出したりしていたりする。
続く