神様が味方になる祈りの法則
神様からのプレゼント
昨年10月、
「佐藤初女さんを偲ぶ会&おむすびと祈り」のリトリートで、
突然、江原啓之さんの元で学んだという方から、
「南に行くといいですよ」
と言われ、
へ??
と思いつつもパッと浮かんだのが、
九州福岡志賀島。
教科書には、
漢委奴国王の金印が発見されたと記されているところ。
そして私にとっては、
ずっと気になっていたけれど、まだ一度も行ったことがない母や祖父母が生まれ育ったところ。
その後、
そのリトリートでの体験をインスタストーリーズや投稿にあげていたら、共感して丁寧なDMをくださった方がいて。
文章からお人柄の良さが伝わってきて、どんな方かなぁとプロフィールを見てみたら、
福岡在住。
あ、やっぱり福岡か、って。
「信仰は自分でするものというよりね、与えられて受け取るものなんですね」
という、佐藤初女さんの言葉も同時に思い出した。
そっか、こういうことなのかもしれない、と。
必要なことであれば必ずベストなタイミングが来るはずと、ゆるやかに過ごしながら流れを見ていたら、
今だな、と感じ始めたのが今年の3月上旬。
が、
ただでさえ方向音痴な上に、
九州にさえも一度も行ったことがなく土地勘もないため、
「一人で大丈夫なの?」
と、心配しているのは本人ではなく隣にいる夫(笑)
誰か詳しそうな人に聞こう、、
と思った時にパッと思い出したのが
以前DMをくださった上記の方。
結局福岡の旅は、この方に色々助けて頂き、
そして後日とっても素敵な体験もさせていただくのだけれど。
ご先祖様へ労いと感謝を
初めて訪れた志賀島。
福岡から陸続きで車で40分ぐらいの、小さな離れ小島。
車を運転しながら、海の中道という細い道路を通ると、周りは一面海に囲まれてて圧倒される。
祖父母たちがどこに住んでいたかももうわからないので、古来より"海神の総本社""龍の都"と称えられている 志賀海神社へ直行。
車を停めて神社の入口を見ると、
壮大な森の真ん中に、まるで自然と融合するようにどっしりと佇んでいて、思わずうわ、、とつぶやく。
大地を踏みしめるようにゆっくり階段を上がり、最初に見えてきたのは、山之神。
ここについた瞬間から、懐かしさのような、包まれているような感覚がじわーっとこみあげてくるのを感じながら、手を合わせ、ご先祖様たちに意識を向けて、
「命を繋いでくれてありがとうございます。
そしていつも見守ってくれてありがとうございます。
ご先祖様達の分までたくさん幸せになります」
と伝えたら、
「よく来たね」
と、急に優しい声が聞こえてきたような気がして、
同時に、喜びながら優しく抱きしめてくれているような体感を感じながら、
大きな大きな安心感の中で
涙がとめどなく溢れてきた。
宮司さんから聞いた禊祓の本当の意味
本殿の方へ。
せっかく来たからご祈祷をと、必要事項を記入し授与所の方々と話をしながら、おじいちゃんおばあちゃんの懐かしい博多弁が蘇る。
社殿の中に入ると宮司さんが現れた。
ラグビーでもされているようながっしりとした体躯で、私よりお若いだろうなぁなんて思いながら、美しい祝詞と共に心をこめて祈る。
全てが終わってお礼を伝え立ち去ろうとした時、
「お母さまやご先祖様、こちらの方なんですか?」
と声をかけてくださった。
「あ、はい、なんだか呼ばれるように来ました。
労いと共に家系やご先祖様の浄化をするようでもあり、命を繋いでくれた感謝の気持ちを直接伝えるために」
と、話していた。
「そうでしたか、それはよくぞお越しくださいました」
と、優しい笑顔で言われた時、
じわーっとあったかくなって、またウルウルしてしまった。
そして、
「志賀海神社でお祀りしている綿津見三神は禊祓の神様なんです」
とお話を始めてくださった。
「でも、禊祓といっても、一般的に知られているようなツミやケガレを払う懺悔というよりも、過去をいったんクリアにしてここからまた生まれ変わるんだと自分の中でスイッチが入った瞬間・それがその人にとっての禊なんですね」
わぁ、なんて素敵な言葉なんだろう、
惹き込まれるように聴き入る。
これからは日本人が重要となる
お話は続く。
一字一句正確ではないけれど、
「昔は神社に稲穂をおさめていたのが今は貨幣に価値が変わっています。
そんな風に、時代において信仰や伝統を伝える伝承の在り方も変わっていきます。
例を挙げると、"学問の神様"として有名な太宰府天満宮も、昔は"書の神様・和歌の神様”として祀られていました」
「志賀海神社も、海上安全という海の神様だけではなく、新生活や全く新しいことをする・ここからまた再生回帰する方達を応援する船出の神様としても在りたいと思っています。実際に変化を起こした方が何人もいらっしゃいます。そしてそれは誰でもない自分の志で決めているのですから。
海の神様をどう身近に感じて頂けるか、神社の由緒やストーリーも伝えていきたいと思っているんです」
お話を聞いているうちに、グッと神さまが身近に感じてくる。
そして感謝の気持ちが更に溢れてくる。
境内の周りを見渡すと一面海で、ここからの浄化のエネルギーもすごい。
ちなみに、父は長野出身でと話していたら、
「長野の安曇野は志賀島ととても関係が深いのですよ。
我々の祖先阿曇(あずみ)族が翡翠を求めて北上し、安住の地と開拓したのが長野の安曇野で、阿曇からきているんです」
「お祭りで一番最後にする作法で"おさめの手"と呼ばれる作法があります。
志賀海神社のおさめの手は他多数の神社と異なっていまして、「それは間違っているんじゃないか?」と、何度も言われていたのですが、安曇野にある穂高神社に行った時に、同じおさめの手をしていたんです。あぁ、やっぱり祖先達はここに来ていたのか、とわかりましたね。
穂高神社には海の文化がのこっていますからぜひ行ってみてくださいね」
うわー、歴史って本当におもしろいな
と、改めて思った。
年号と名前の暗記だけじゃすぐ忘れるけれど、
わー!とかすごいー!とか感情の通路ができた時に過去も今となるし、体感でスッと入ってくる。
「貴重なお話を沢山ありがとうございます。
実は私、昔は海外にずっと憧れていたんです」
と、私は話し始めた。
「繊細で敏感な面も持ち合わせているがゆえに、色々なものを感じ取ってしまって発言しにくかったり、または言っても理解されにくくて言うのをやめてしまう、そんな自分が嫌で、"自己主張をする"という風土や文化が強い欧米に憧れていました。ただ、競争社会に長く身を置くうちに、無意識のうちに誰かと比べて次第に自分を必要以上に強く大きく見せようとするというか、常に背伸びしているような感じがして、ある時からそれが苦しくなってしまって。
で、動けなくなってしまった時に気づいたんです。
これは自分ではない他の誰かになろうとしていることと一緒だなと」
「そこから、教育や歴史を遡るようになり、色んなことに気づきながら少しずつありのままを受け容れゆるしていく過程で、我々がDNAで受け継いできたこの繊細で鋭い感性や深い精神性、霊性、おもいやりの心、和を以て尊しとなす精神などはとてつもないギフトだったんだなと思い出し、感謝の気持ちが溢れるようになってきました」
「そんな風に思い出してきたら、あの時の"がんばって自己主張する"ではなく、"ただ自分でいる"ことができるようになってきて、、。
どちらが良いとかそういう次元の話ではなく、ただ、これからの調和の世界の流れにおいて、日本人の「和」の心で生きる姿、競わない・比べない・争わないなど、、そういったものがますます重要になっていくとずっと感じているんです。だからこそ、日本人同士で足を引っ張り合ったりするのではなく、良いところを底上げしていけたらいいなと」
宮司さんは優しく頷きながら聞いてくださっている。
そして、
「 日出ずる国、"浄明正清(じょうめいしょうちょく)"、ですね」
と、おっしゃった。
志賀島の魅力
気づいたら1時間以上互いに話していて、正座していた私の足はもう限界だった(笑)
「すみません、ちょっと足を崩してもよろしいでしょうか」と言ったら、
「あ、では私も」と一緒に足をくずしてくださり、
ますます素敵な方だなぁと思ってしまった。
その後も志賀島について色々教えてくださった。
志賀島は漁業だけでなく農業も盛んだそうで、食べ物も本当に美味しいのだそう。
後に他の予定が控えていて長く滞在できなかったのだけど、また戻ってくるということだろう。
ここもとても良いですよと教えてくださった志賀海神社沖津宮や金印公園も行ってみたい。
道端で売られていたアメリカンドッグならぬ金印ドッグも観光ネタ的に食べてみたい笑
参拝者との対話を大切にしたいとおっしゃっていた本当に素敵な宮司さんと神社だった。
今度は晴れの日に、ここから見える海をつたう息をのむほどの美しい朝日を眺めよう。
神様が味方になる祈りの法則
そして先週、久しぶりに母から連絡があり、
そういえば1人で志賀島に行ってきたよと伝えたら、
えっ!と絶句した後、
それはいつ?!と聞かれ、
4月上旬と答えたら、
「、、驚きのショックと有難さと、、。実はその頃からなんだか体も心も楽に軽くなってきて色々変わってきたのよ、、」と。
あぁよかったな、本当によかった。
また、じわーっとした体感と共に、目頭が熱くなった。
そんな母は実は、とても繊細でピュアで敏感な人。
繊細さゆえに傷つくのを恐れ、鎧でかため、足りない何かを補うように強くなろうとしていた人。
ぶつかってぶつかりまくって、ラスボスって親なんじゃないかとも思ったこともあったけれど、
母も母なりに色々悩み、私には知り得ない苦しいこともあっただろうし、とにかく今は、命を繋いでくれたこと・母なりの愛で一生懸命育ててくれたことに感謝しかない。
そんな母も今、時々揺れながらも、ありのままの自分を受け容れながら、日々の暮らしを穏やかに楽しんでいるようで、改めて目に見えない存在にも感謝の気持ちと畏敬の念が募る。
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今回の一連の体験を通して、
改めて感じたことがある。
それは、
神社仏閣というのは、
そもそも「お祈り」「お願い」をしに行くところというより、
「感謝」や「お礼」を伝えに行くところなんだと。
「祈り」の語源は諸説あり、
「い」は「神聖なもの・いのち・生きる」、また、神の「意」。
「のり」は「宣べる」という。
一方、「願い」の語源は「ねぎらい」とある。
つまり、「ありがとうございます」と感謝すること。
与えて頂いている「既にあるもの」に目を向け
感謝と共に祈る時、
私たちは神様から祝福されるのかもしれない。
どうも大きな反応を示して
味方してくれる現象を起こしてくれるのかもしれない。
投げかけたものを、倍以上にして返してくれるのかもしれない。
そして後日。
以前から何度か目や耳にしていた小林正観さんのお名前を、いろんなところから見聞きするようになり、気になり始め、本を初めて手に取ってみた。
何冊か読み進めていくうちに目がとまったところには、こう書かれていた。
「神仏へのお願いというのは、目の前の現象について「これが気に入らない、あれが気に入らない」ということがあるから、「神様、仏様、どうかこの夢を・あの望みを叶えてください」とお願いをしているわけでしょう。しかし、それは神仏に対して宣戦布告しているのと同じ。お願いに行った瞬間に「今、自分が置かれている状況が気に入らないんだ」という宣戦布告をしているわけです。「叶えて、叶えて」と言いに行った瞬間に、神様から無視されます。
では、神社仏閣は何をするところなのでしょうか?
神社仏閣は「お礼を言いに行くところ」なのです。今、普通の状態で歩けて、自分の口で食べられて、自分の目で見ることができて、、本当にいろいろなものをたくさん頂いているのです。それに対して「ありがとう」とお礼を言いに行くところなのです」
「(伊勢神宮にて全員で「ありがとう」だけを言った一分間、風もないのに御帳が90度に上がり、ずっとその状態で静止していた体験から)
どうも日本で一番えらい神様である天照大神さんは、ありがとうという言葉が好きなようです。それに対して大きな反応を示すようです。感謝をされると、どうも味方をしてくださるようです。
この話を伊勢神宮の神官の方に伝えたところ、「まったくその通りだ」とおっしゃいました。
ただし、たとえいくらお願いごとをしたとしても、神や仏が敵対するということや、意地悪や嫌がらせをすることもありません。ただ味方をしないだけです。今いる場で、ありがたい、感謝をしているという気持ちを伝えれば、それで宇宙に届いているのです。でも自分自身で神社仏閣に足を運んだ方が気持ちがいい、心地良い場合は、遠慮なく足を運んで、そこでその気持ちを伝えるといいと思います」
何冊か読み終えた時には、
内側がじわーっとあたたかいぬくもりに包まれ、
なんともいえない幸せな体感で包まれていた。
まるで、今回自分がしてきたことが、
その方向で合ってるよ、と、
小林正観さんと、正観さんを通して、神様から優しく教えて頂いた気がした。
またひとつ、
わたしは大切な何かを思い出したのかもしれない。
本当に、ありがとうございます。
そんな、どっしりとした安心感と信頼、
そして祈りがより暮らしに根づいた
素晴らしいルーツを感じる旅となりました。
サポートありがとうございます。嬉しいです!