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マーケターがマーケティングまみれの世界で生きていたことに気付いた話

*本記事は、2023年11月17日に公開した記事を移転したものです。

25年間東京で生きてきて、ふとしたきっかけで海辺の湘南エリアに1年ほど住み着き、沖縄に移住してきて半年経って感じたこと。

東京を出るまで一度も引越しをしたことがなくて、土地によってどれだけ価値観が変わるかなんて、全くもって想像もつかなかった。

親戚は関東圏で、地方に住んでいる人が身近にいなくて、学生の間に出会う人もほとんど東京生まれ東京育ちの人たちばかりで。東京以外の人がいたとしても、神奈川・埼玉・千葉の人ぐらいにしか出会わなくて、今思うととっても狭い世界で生きてた。

大学はちょこっと変わった大学だったから外国人はいたけど、”外国だから価値観が違うのは当たり前”って思っていた程度で、同じ日本のなかでもこんなに違うなんて、東京を出るまで知るよしもなかった。

その辺を深堀ったらいくらでも話ができてしまうけど、今回はタイトルにもある通り、世の中はマーケティングで溢れすぎているっていうお話。

消費社会の中心、東京。

はい、タイトルにも書きましたが、本業はマーケターです。だからこそ、マーケティング戦略に負ける瞬間がいつもとっても悔しいですが、頭ではわかっていつつも、人間なので巧妙なマーケティングには勝てません。

沖縄に住み始めて、はや7ヶ月目に突入しようとしている今、ふと気付いたことがある。それは、「そろそろハロウィンなのに、全くハロウィンを感じていないこと」。

どういうこと?ってなるかもしれないけど、今まで東京でも湘南でも商業施設とかお店がそこらじゅうにあったから、ハロウィンが近づいてくると街がハロウィン一色になって、ハロウィンが終わった瞬間に一気にクリスマスになるのは、当たり前だと思ってた。

でも、沖縄では全くハロウィンを感じていなくて。USJのCMを見て、「あ。そういえばもうすぐハロウィンじゃん」って思い出した。

どうしてかって言うと、沖縄はみなさんご存知の国際通りがある那覇以外は、東京みたいにずらーっとお店が並んでる場所がほとんどなくて、大きなショッピングモールが県内に2つあって、アメリカンビレッジは年中キラキラ迷路で、他のお店は点々と散らばっている。

だからハロウィン一色になるような場所がなくて、テレビも家に置いてないから、今まで生活していた環境が、いかにマーケティングまみれの世界だったことに初めて気づいた。

ここまでの状態に出来ているってことは、マーケティングに成功しているっていうことでもあるんだけど(笑)、その環境が当たり前すぎて、マーケターの自分ですら気付きませんでした。

マーケティングが溢れている世界と、そうでない世界があることに気づく以前は、沖縄ではショッピングに行く機会が少ないし、流行りの物・ブランド物を持っている人に出会う機会も少ないから、物欲が湧かないのかな〜って思っていたけれど、実は消費者の行動そのものがマーケティングだったのかもしれない。

みんな持ってるから欲しくなるっていう現象を心理学で「バンドワゴン効果」って呼ぶのだけれど、人間の心理だから避けられないと思っていたけど、実は自分たちがその状況を選んでいるのかも。

もし選んでいないなら、消費社会とは無縁でマーケティングにひっかかることもないのに、企業は人間の心理に乗っかってマーケティング戦略を練って、消費社会を作り出しているのかな〜と。

人工物 VS 自然

東京にしか住んだことのなかった人間が湘南に移ったときに一番感じたのが、「自然があるだけでこんなにも価値観や雰囲気が変わるものなんだ」ということ。

茅ヶ崎でビーチクリーンに参加した時、海を汚したくないという純粋な気持ちから積極的にゴミ拾いをしている人たち。そこで出会う人たちは、みんなピュアな心を持っていて、東京で廃れた世界を見ていた自分からしたら、なんて素敵な世界なんだろうって一瞬にして惹かれて。

東京のことを毛嫌いしていた時もあるけど、たくさん考えてたどり着いたのが、東京の人が冷たいって言われがちなのは、東京の人が悪いんじゃなくて、”環境がそうさせてしまっている”ということ。

街路樹が少しあるだけで自然という自然はなく、コンクリートや建築物という名の人工物に囲まれていたら、自然の変化や環境保護に気付きたくても気付くのは難しい。

お家で観葉植物を育てている人がいたとして、その人は一緒に暮らして身近にあるから観葉植物の変化に気付くことができるけど、観葉植物以外の自然はどうだろうか?

観葉植物しか見ていないから、一歩外に出れば人工物だらけで自然がなくて気付くことができない。

環境問題については小さい頃からずっと興味があったから、自然を壊そうとしている人たちを責めていたけど、そうじゃなくて知ってもらうことが大切なんだと考え方が変わった。

そんなこんなで湘南よりももっと自然がたくさんのある沖縄に辿り着き、初めてうちなんちゅと仲良くなった時、今までの人生を心から反省した。笑

東京でこんなに心が綺麗な人には一度も出会ったことがなかったし、湘南ですらここまで感じたことがなかった。

湘南で自然・人工物がどれだけ人に影響を与えているかを実感していたから、美しすぎる自然が溢れている沖縄で生まれ育った人はこんなにもピュアなのか、と心が苦しくなるほどに痛感した。

沖縄が持つ不思議な魅力

県外の人からすると、沖縄=「海!リゾート!開放感!いえーい!」っていうポジティブなイメージしかないかもしれないけど、沖縄の本当の魅力はそこではないと思う。

というのも、かつては私も沖縄についてそういう風に思っていた1人でもあるし、その気持ちもとてもよく分かる。それでも、沖縄のイメージをそこに留めてしまうと、とてつもなくもったいない気がする。

温かい人

観光客がうちなんちゅと会話すると、みんな沖縄の人は優しいよね〜と言う。もちろんそうだけど、先述したように、うちなんちゅの優しさは、美しい自然に囲まれて育ち、仲間を大切にして生きてきた人が多いからだと思うので、そこを見逃してしまうと表面しか見ていなくて、とてつもなくもったいない。

人工物に囲まれて、物欲、顕示欲、権力欲など、あらゆる欲に囲まれている生活をしている人と、自然に囲まれて家族や友だち、恋人と過ごす時間を大切にしている生活をしている人という比較をしたら伝わりやすいかな。

人工物やマーケティングまみれの世界がないから、物欲など湧かないし、持っている”もの”を自慢しようとする必要もないし、自然界を基盤としていたら権力なんて必要ない。

それが彼らの当たり前だから、みんな自覚はないけど、うちなんちゅはと〜っても温かい人が多いんじゃないかな〜と個人的に思っています。

そして、人工物に囲まれている生活も、東京の人からしたら当たり前の世界だから、自分を責める必要なんて全くなくて。その事実に気付いてどういう選択をするかどうかは自分次第だけど、環境がそうさせただけだから、1人の人に責任がある訳では全くない。

人間味溢れる人たち

そして一つ前の段落の延長線でもある話が、この話。沖縄で出会う人は、本当に人間味に溢れているし、沖縄では自然と人生観とか愛のかたちとか、深〜い話を日常的にすることが多い。

それも全部、飾る必要も、権力を持っている必要もないからだと解釈している。沖縄移住を決めるきっかけとなったゲストハウスでは、これからどうやって生きたいのか、今の生活にどんな不満を抱えているのか、どんな夢があるのか、そんな話ばかりしていて、自然と涙溢れている人もたくさん見てきたし、自分もたくさん考えさせられた。

人工物も人間が作ったものだけど、結局お金のためにやっていることがほとんどだし、飾る必要のない世界では余分なものばかりで、人間味が溢れているかというと、疑問が浮かぶ。

せっかく言葉が話せて、喜怒哀楽という感情を持っているのなら、もっと言葉にして、もっと感情むき出しにしている方が人間味が溢れていて良いなと思ったりする。

一回沖縄に長めにステイしてみたら、どれだけ飾っていた人でも不純物が取れて、価値観がぶっ壊れること間違いなし。おすすめです。

終わりのことば

noteで初めての記事。沖縄でたくさん感じて、たくさん考えた末に、自分としてのアイデンティティをもっと表現したいと思ったので、エッセイ形式の記事を書くことにしました。

英語翻訳もして、ポートフォリオサイトとして機能させようと目論んだりしてますが(笑)、これからも感じたことを書いていこうと思います。

ハロウィーン前に書き始めたけど、途中で中断してしまって、もうクリスマス商戦が始まったころに石垣島で書き終えました。

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