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留学生盗難初日

不安と期待で詰まった気持ちを落ち着かせ中央アメリカに位置するコスタリカに足を踏み入れ1ヶ月経った9月15日はコスタリカ共和国202回目の独立記念日だったんだ。金曜日、ほとんど全ての店、家屋が旗などで飾り付けをしている中私が住むエレディアの中央公園では煌びやかな衣装を着た人々によるパレードで賑わってたんです。華金で独立記念日で次の日が全部休日となれば、人でごった返すであろう首都繁華街に、我々アメリカの留学団体のメンバーは繰り出すことを決意。ほとんどの人が中南米といえば危ないと言うイメージを抱くであろう中コスタリカは中米一安全と言われる国である中きちんとクラブ街と言うものが存在する。首都サンホセの東側に位置するLa Caliことラ・カリフォルニア地区にはいくつものクラブがひしめき合い数千人の人が週末に踊り狂っている地区である。私ノノこと中村龍之介20歳は、実を言うとこの地区に行くのが2回目である。クラブでどんちゃん騒ぎが結構好きなので、今度も楽しく過ごそうと息まき、近所に住んでいる友達たちとウーバーに乗り込み午後9時ごろにラ・カリへと降り立つのであった。

午後9時
総勢5名の我々が住むエレディア県のメルセデスノルテ区よりラ・カリまではウーバーXLで大体10000コロンビアコロンということで大体日本円換算2800円ぐらいである。日本のタクシーと比べると悪くない値段で、運転手は大体ノリノリだ。南米らしい音楽に陽気な運転手。前回ラ・カリに行った時も運転手に言われた“cuidado”、十分注意してねという意味の言葉を投げかけられラ・カリの地に降り立った。あまり栄えていないところに降ろしてもらった割には、チラホラと踊っている人や酔っている人が道にいらっしゃる。コスタリカでは路上飲酒が一応違法となっているが、警察の前で堂々とビールを流し込むお姉さんとお兄さん。販売が禁止されている大麻の匂いが微かにする中、先に到着していた他の仲間と合流するべく人混みの中をかき分けていくのである。

午後10時
他のメンバーと合流した我々は、クラブで少し楽しんでいた。私はビールで始める人なのでクラブのバーカウンターでピルセンという名のビールを頼み腹の中にためた。ここで少し話を逸らしますが、中南米のビール事情をお話しします。メキシコを含めたラテンアメリカではビールで有名なのは皆さんご存知だと思いますが、ここコスタリカもとてもビールが美味しいです。なぜビールが美味しいかお分かりの方はいらっしゃいますでしょうか。残念不正解です。正解は中南米にたくさんのドイツ系の影響を受けた場所が多いからだそうです。コスタリカでは2大ビールというのがあり、インペリアル好きとピルセン好きが争っているそう。私はどっちも美味しいのでどっちも飲みますが、その日はピルセンの日でした。ちょうどビールを終わらせた頃、仲間に連れられ安いお酒を探しにクラブの外へと出かけるのです。9人ほどで近くのコンビニ的存在のところへ行きテキーラを3本購入。当然クラブ内に持って入ることはできないので、クラブ外でテキーラのボトルを回してラッパ飲み。若いからできることです。お金もないので安いテキーラを購入。塩とレモンのない安テキーラは本当になんで飲んでいるか分からんぐらいまずいですが、4ショット分ぐらいを摂取。みんな気分が良くなったのでクラブへ戻っていくのでした。

午後11時
最初のクラブに戻った我々はダンスフロアで円になり踊っていた。アメリカ女子の間の流行りかは分からないが、臀部を他の人の腿に振る踊りをみんなでし合ったり、普通にステップを踏んだり、円の中心に誰かが入っては踊っていた。もう少しお酒を入れたかった私はもう一度バーカウンターへ。
“こんばんは、テキーラのショットくれ”と拙いスペイン語で伝えると
“何ショット欲しい?”と返すバーテン。四人いたので4ショット頼み1回目のsalud。他の仲間もやってきたのでもう一度乾杯。気分が良くなったので最後に仲の良い仲間と!salud!。レモンと塩ありでとても美味しいテキーラで満足した私はダンスフロアに戻り、またよく分からない踊りを続けるのであった。“おいおいnono飲みすぎじゃねーか”と思われるかもしれないが、gringo(アメリカ人)たちと飲んでいると狂ってきます。こんなのは彼らにとっては朝飯前だそう。私もまだ呑める方なので着いていけるだけマシである。

午前0時
ここで踊ることに満足したのか仲間たちは違うクラブへ行くことを決意。何人かの脱落者をウーバーに乗せ、事件のあったクラブへと自分のスマホが盗まれるとはつゆ知らずのこのこと着いていくのであった。深夜に近づいたことでより活気を増す街、我々は人がたくさんのとあるクラブに目をつける。いかに酒が強いであろうアメリカ人たちにもお酒は回り始め、ボルテージは絶好調。通常クラブには入場料があるものだが、身体検査だけされクラブに入って行った我々。良い音楽、たくさんの人、暗いクラブ内。これこそがクラブだと言わんばかりの要素を詰め込んだクラブの端の方で踊り始める我々。仲間以外の人も時々参加しては一緒に踊り友達が増えていく。確かにこの時は右ポケットに私の買い替えたばかりのスマホが鎮座していた。日本と15時間の時差があるコスタリカの深夜は日本では昼間なので時々スマホをチェックしては日本からのメッセージを確認していたので確かにスマホはあったのである。なんの変哲もなく仲間と一緒に踊り、笑うなかその時は突然やってくるのである。

午前1時
腕時計をしているはずなのに時々スマホで携帯を確認してみたくなるのは、私の腕時計が2分半ほど早いからである。父の教育上時間を気にする私は腕時計を早めているのだが、時々スマホで正確な時間を確認するのであれば本末転倒である。だが、この習慣のおかげで全てのポケットに私物が入っているのかを一定間隔で確認する癖がついたのも事実である。そう、まさに時間を確認しようと右ポケットに手を伸ばした時、いつもそこにあるであろう、四角く硬い物体がないではないか。ポケットの中に手を突っ込んで確かめるも、あるのは二つのマネークリップ。左ポッケには鍵が、後ろポッケには小銭入れしかない。そう、スマホがないのである。私の頭の中はしばらく再起動をした後、自分の周りを見ることにした。ない。何もない。あるのは誰かが落とした携帯カバーのみ。しかも私のではない。一旦落ち着こうとする前に、仲間に携帯がないことを伝える。“貴様ら持ってないだろうな”。そうふざけて言う私を横目に彼らは周りを探し出す。何もない。ここでなんと驚くべきことにもう一つの事実が発覚する。同じグループの、アメリカ女子も携帯がないのだ。ここに来て8割ほど確定で盗まれたと理解する我々。ここから始まるアドベンチャーがあるとも知らず私は仲間のスマホを使い時間を確認しては、私のスマホの所在を躍起になって探していくのであった。

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