人の違う一面を見たとき
私は、知り合いのいつもとは違う一面を見ることが苦手です。
例えば、職場で飲み会があり、普段はスーツでビシッと決めて仕事をしている上司が、お酒に酔っぱらって緩んだ顔をしているとき。
別にその上司がセクハラをしていたわけでもなく、酔っぱらって、顔を赤くして笑っていただけなのに、普段とは「違う顔」を見てしまったことに嫌気がさすのです。
つまり、私が期待していたその人の人物像みたいなものからはずれた姿を見ると、なんだかとても残念に感じてしまうのです。
昨日、職場の同期が退職することを知りました。
本人が直接伝えたかったと、仕事終わりに会って話をしたのですが、退職する旨だけでなく、さまざまな土産話を置いていったのです。
私と同じ部署で働いている人が、その同期に仕事上の嫌がらせをしていたこと。それが会社の上層部に知られて大事になっていること。別の職員と不倫していること…。
昨年の4月にその人は私の所属する部署に異動になりました。
かなり変わった人だとは聞いており、課長にも事前に心構えを説かれていました。
しかし、ふたを開けてみれば、特に問題はなく、他人に執着しない適度な距離感に、仕事のやりやすささえ感じていました。
ひとの感じ方はさまざま。
ひとによって、いろいろな見え方があるのだろう。
私から見る彼は、特に愛想が良いというわけではありませんが、仕事はきちんとするし、必要なコミュニケーションはとれるので、特に害はありませんでした。
ところが、同期が伝えるその人物像は、まったく違うものだったのです。
私から見えていなかったその人の姿に、ひどくショックを受けました。
その人を特別、慕っていたわけではないのですが、いつの間にか期待してしまっていたその人物像が見事に崩れ去り、呆然としてしまったのです。
人って信じられないなぁ…
私が勝手に作り上げた理想像というか、「この人はこういう人(でいてほしい)」というものとは違った一面が見えたとき、ある種、裏切られたような感覚に陥ります。
その人自身が裏切る行為をしたわけではなく、ただ見えなかった一面が見えただけなのに。
「自分にも他人にも世界にも期待しない」
これは、私がしばしば口にする言葉です。
でもそれは、期待してしまう自分がいるから、自戒のために発している言葉でもあります。
今回もまたどこかで期待してしまっていた。
期待どおりでなかったときのショックは大きい。
それでもまた、知らず知らずのうちに期待してしまうのだろう…
だから私は、ひとから聞いた「違った一面」は、聞いても意識しないことにしています。
同期の話を聞いていなければ、彼は私の中で害のないただの同僚だったのです。
職場には情報通のような人がいて、詮索していろいろな情報が出回っているのですが、そんなものには耳を貸さない!仕事に集中!
色眼鏡で見るのではなく、私が見える範囲でその人を見ればいい。そう思うようにしています。
有名人の不倫が世間を騒がせていますが、身近なところでもザラにあるんだろうなぁ。「人を信じるとは…」なんてことに思いを馳せる祝日の朝です。