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誰かの決めた”美”

日常の世界にもネット上にも、「誰か」の尺度で決められた美が溢れている。

自分はもう、そういう類の美しさには執着していないつもりだけど、ルッキズムに関連する発信やコメントを偶然見てしまうと、なんだか目の前が暗くなってしまう。

たとえば、私の肌は黄色みが強くて、日焼けしやすい。日焼けしても赤くならない代わりに、どんどん黒くなる。

でも、もうずーーっと前から「色白がよい」とされていない?世間様的には。

私の肌はイエローベースだが、世の中には「ブルベマウント」なるものがあるらしい。肌に青みがかったブルーベースの人のほうがイエベ(イエローベース)の人より美しい、みたいな謎の(無意味すぎる)優越感だ。

だけど、私は自分の肌の色が気に入っているし、女優さんや街ゆく人をみても、小麦色の肌はセクシーでステキだな、と思う。私は太陽の光を浴びるのが好きだから、日焼けしたってお日様の下でにこにこ笑っていたい、と思う。

出産してからそばかすが増えたけど、顔に愛嬌が出たなぁと思う。夏は日焼けした肌が気に入っているのに「めっちゃ日焼けしてるじゃーん!」とか言われると、モーレツに萎える。色白が好きじゃない人もいるんだよ!!

あとは、体型について。日本は特に「女性は痩せている方がいい」みたいな傾向がある気がする。

以前友人に「マイちゃんは脚が細いね……」と、ため息混じりに言われたことがある。でも私は、脂肪もつきにくい代わりに筋肉もつかないこの体質がすごくイヤなのだ。痩せっぽっちよりも、適度に筋肉があるほうが格好いいと思うから。

この「誰かの決めた美」でジャッジされるのが、ものすごーく嫌だ。他人が決めた美しさは、自分のパワーを吸い取ってしまう。私の美しさは、私が決めるものだ。

私だって、誰かと自分のルックスを比べては「どうして私はあの子みたいじゃないんだろう」なんて悩むこともある。

でも、そう思うことが以前より減ったのは、人の美しさは千差万別であるということを理解したからかも。

そしていちばんの美しさは、誠実さとか、努力している姿とか、幸せそうな雰囲気とか、心のなかから滲みでるものだということを、私はもう知ってる。

私は、痩せっぽっちで黄色い肌を持った自分が好きだ。手が大きいところも、背が高いところも、目が大きいところも鼻が低いところも歯列矯正した歯並びも、ぜんぶぜんぶ好きだ。だって自分だもの。人生を生き抜いてきた誇り高き肉体だから。


(Day.14)


▼昨日の記事。亡くなったファンの話。▼

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