”ゆらぐ自分”が好きです。
先日、クライアントのライティングチームで交流会を開催した。
所属しているオンラインサロン「Webライターラボ」での経験を活かし、同じメディアや同じクライアントで働く仲間たちと交流を持ちたいと思ったのだ。
同じメディアで執筆している方も多く、共通の言語や経験があったおかげで、大いに盛り上がり、楽しい時間になった。
交流会では、参加者から様々な意見が出された。
それを取りまとめてクライアントに伝えたところ、仕事に即、反映していただけた。感謝しかない!
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こうした成功の裏で、私はいつものように自問自答を始めていた。
「なんか張り切っちゃったけど、ここまで出しゃばってよかったのかな?」という疑問が頭をよぎり、寝る前にうだうだと考え込んでしまったのだ。
私は、おそらく(いや、どう考えても)繊細で、気にしいな性格でありながら、人一倍行動したがるところがある。
自分の力以上のことをやろうとしてしまうのか、猛進したあとにガクッとしんどくなるのだ。
友人らからは「そんなに頑張らなくてもいいのに」とか「なぜそんなに疲れるのにそんなことをするの?」と言われることがある。ごもっともだと思う。
しかし不思議なことに、そのしんどさを嫌だとは思わないのだ。むしろ、頑張ることが好きで、もっともっとやりたいという気持ちが強いのかもしれない。
確かに、効率や賢明さを考えれば、実力以上に頑張らない方がいいのだろう。
でも、疲れても楽しいと感じられるなら、それはそれでいいのではないか、と思うのだ。
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私は長い間、自分の感情の振れ幅の大きさを恥ずかしく思っていた。
こんなに感情の振り幅が大きく、寝込むほどに疲弊してしまうのは、私が精神的に未熟だからだと考えていたのだ。
でも今は、それが「私らしさ」なのだと受け入れ始めている。
(もちろん、イライラしてしまったり、余裕がなくなったりする自分に対しては未熟だと感じるのだが)
頑張るけど疲れちゃう、疲れるけど頑張っちゃう。
そういった揺らぎや矛盾も含めて「私」なのだと思えるようになってきた。
私には時々、自分は価値のない人間で、役立たずだ、と思ってしまう癖がある。幼少期の経験が影響しているのかもしれない(知らんけど)。
この考え方が息子にも影響してしまうのではないか、と心配していた時期もあった。
特に息子が、保育園に馴染むのに時間がかかっていた頃には、これは私の性格が原因ではないかと悩んでいた(今思うと、なんで?って感じだが)。
しかし今、息子は彼らしく生きている。
親目線で恐縮だが、大人の言うことをよく理解し、自分なりに考え、相手の気持ちを察する能力に長けている。
そんな息子を見ていると、私の繊細さや感受性の強さが、彼に良い影響を与えているのかもしれない、と思えるようになった。
もちろん、彼が生来持っている気立ての良さによるものだと思うが。
これからは、自分の未熟さや揺らぎも含めて、それが私の素敵なところだと認めていきたい。
そうすることで、息子も自分の個性を肯定的に捉えられる人になってくれるかもしれないから。
結論、私は頑張ることをやめません。
なぜなら、その過程が大好きだから。ただし、疲れたときは周りを気にせずにしっかり休み、また楽しく頑張れるようにしていきたい。