「文章を書く」ということ。
私たちは、文章を書かない日はないと思います。
例えば、メール、Slackなどの社内コミュニケーションなど。
特にコロナ禍になってからは、対面のノンバーバルコミュニケーションが減少し、テキストだけでニュアンスを伝える機会がとても多くなりました。
なので、日々、何らかの文章を、書くということに時間を消費しているはずです。
コミュニケーションのために書く文章と、自らの主義主張(や感じたこと)を誤解を恐れずしたためる文章というのはやはり違うわけでして。
伝わり方から逆算して、当たり障りのない文章を書くことも技術。誰かの心臓に爪を立てるような文章を書くことも技術。共感を巻き起こせる何かを埋め込むことも技術。
それらは似て非なる脳の筋肉を使い、日々鍛えられるものだなと実感するのでありまする。
文章を書くというのは、つくづく日々の積み重ね。
どのような解像度で日常を見ているか、という観点や、どのような必要に駆られてどのような目的で執筆しているかにより、色も伝わり方もすべて変わる。
一方で書かなければその筋力は低下してどんどん書けなくなっていく。
ああ、何等か書くこと、それだけでも脳の刺激になって私の血肉をつくってくれているのだなと、実感する今日この頃。
Domaniオンラインサロンさんで毎週、交代で投稿しているコラムが、今週で70回目になりました。
続けてこられたことに感謝です。
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