呪われた家
呪われた家(カナダ:2015年)
監督:シェルドン・ウィルソン
脚本:シェルドン・ウィルソン
出演:ジョデル・フェルランド
:サニー・スリッチ
:パスカル・ハットン
:アンソニー・コネツニー
:ジョナサン・ホワイトセル
世の中どこにでもお化け屋敷の話は聞くが、タイトルで心霊パニックホラーと思って観てみたら、ラストでその本質が明かされ、お化け屋敷と怪奇現象の関係性が薄っぺらく感じてしまった、カナダ発のホラー。怪異に殺される描写はよかったんだが、ジャンプスケアの多用で観る気が萎える。
ある田舎町のとある廃屋敷。かつてそこでは一家が全員行方不明になるという過去があり、住民からは忌み嫌らわれていた。その屋敷へと母と幼い息子が都会から引っ越してくる。失語症となってしまった息子の療養のため環境のいい田舎へと移り住むのだという。母は屋敷の因縁を気にせず、息子の世話をするベビーシッターにその町のある少女を雇う。しかし、その屋敷は長年放置されていたので、地元の不良がブツの隠し場所にしており、彼らは何とかしてそれを回収しようと画策。ベビーシッターの少女は屋敷の異様を感じ始めると同時に、様々な怪異現象が起こり始める。この屋敷の怪異はどこから起こるものなのか。
音でびっくりさせるジャンプスケアの多用がやかましい。しかも使わなくてもいい場面でも使うので気分が下がると同時に慣れてしまって恐怖を感じなくなってしまう。犬の死体が動き出して便利屋の親父を嚙み殺す辺りが恐怖のピークで、以降はありがちなポルターガイストや何者かの気配などで雰囲気を作ろうとしているが、あまりにも恐怖の配分が悪く感じて中だるみしている。ベビーシッターの少女が昼間しか屋敷にいないので、怪異が明るい最中に襲ってくるのは斬新。話すことができない息子の姿が消え、屋敷内を探す際に導きとなるビー玉の使い方はよいが、それだけ。ホラーの醍醐味は少なく感じた。
主人公の少女は失業中の父と二人暮らしで、不良どもにウザがらみされる地味な田舎娘。彼女がベビーシッターとして雇われたことには意味があり、その隠喩のため彼女だけにある幻覚、もしくは幽霊が見える。それは警告なのだが、物語のキモとなるはずなのにその過程の謎解きが面白くない。もっとスリルと没入感を求めるなら、彼女にだけ見える理由と屋敷の秘密にもっと時間を割いてもよかったのでは。持つキャラクター性は弱いが、同性愛者っていうのは現代的に感じた。その同性愛相手の不良娘との関係性が微妙なのも、なかなか興味深かったが、ただそれだけ。もっとホラームービーの主人公にふさわしい華と行動力、そして葛藤があってもよかったのでは。
中盤から怪異が牙を剥い襲いかかってきてようやく物語が盛り上がってくる。床下から釘が突き出て全身に刺さる、熱湯が溜められたバスタブに沈められる等の展開が震えあがるほど恐怖を感じさせてくれていい。ポルターガイストで包丁が飛んでくる、シャンデリアが落ちてくるもあるが、それは使い古された感があるだけに、釘と熱湯は斬新に感じた。やはり昨今の怪異には独創性とオーバーキルは必要だと思う。
そしてエンドの展開は自分には納得できない。この怪異現象の秘密やその原因の存在。そしてエンドは今まで積み重ねたストーリーをひっくり返してしまう残念さがある。作中積極的な登場がなかった存在がしたり顔で事の顛末を説明しても説得力はない。もしかしてスティーブンさんやジョージさんらがよく持ち出してくる、空の上からやってくる人たちが出てくるんでないかと勘ぐった。そんな存在がこの世にあるためにお化け屋敷は存在し、そこが忌み嫌われるが故に住むことができるって都合よすぎんか。さらには人より高度な存在が人の世俗にまみれて自制心を養うことができるのかね。
ホラーとしては反則技の応酬で鑑賞するのは今一つ。今さらジャンプスケアで恐怖をあおるのは品がない。登場人物は現在を捉えているかもしれないが、主人公は存在が弱く、他のキャストはステレオタイプすぎる。見るべき展開や演出はそこそこあるのに最後の最後で雰囲気を壊してくれたのも残念。そして最後の最後で登場する「アミティビル」の看板。向こうでは有名らしいが、オレは思い出せなかった。ウィキ先生で調べて納得したが、これもその一つなんですよ、知ってるでしょっていう作り手側に同調を求めらているようでイヤ気が差した。気にし過ぎやけど。