ザ・グラッジ 死霊の棲む屋敷
ザ・グラッジ 死霊の棲む屋敷(アメリカ:2020年)
監督:ニコラス・ペッシェ
原作:清水崇「呪怨」
出演:アンドレア・ライズボロー
:デミアン・ビチル
:ジョン・チョー
:ベティ・ギルピン
:リン・シェイ
告白するとこの作品の元になった「呪怨」を観たことがない。たまたま手に取った物がそうだったという、自分の知らなさ加減がちょっと恥ずかしい、死霊に取り憑かれた屋敷にまつわる無惨で容赦のない描写が観ていて自分にキツく、自分の肝の小ささにもつくづく恥ずかしくなった。
日本の古びた家の前で恐怖におののいている白人女性。女の死霊が背後から、放置されているゴミ袋の陰から次々現れて、白人女性はアメリカへ一目散に逃げ帰る。それから数年後。夫をがんで亡くした女性刑事は息子とともに新任地へ。早速相棒を組む中年の刑事と事件現場に急行すると、事故後数日経った自動車の中に自殺ほう助でFBIから追われていた女の死体があった。彼女の足取りを調べるとある屋敷に行き着く。その屋敷は日本から逃げ帰ったあの白人女性のかつての居宅で、その家族は無理心中していた。その事件を捜査していた中年刑事の以前の相棒はその事件に執着するあまり発狂してしまったいわくつきの屋敷であった。中年刑事は決して入らないその屋敷へ女性刑事は赴くが、そこで恐怖を体験する。その屋敷に潜む者は次第に呪いをまき散らしていく。
見せる映像がキッツいというのが感想。放置された死体は腐り落ちて、肉の削げたしゃれこうべが大口開けて横たわる。包丁で自分の指を切り落した映像があれば、血だまりに浮かぶ女性、バスタブの中に頭を突っ込んで絶命している男。大量の鼻血を流す少女などなど。死体の周りを飛び回るハエ、まとわりつくウジ。久しぶりにポテコをアテに、ノンアルビールを飲みながら観てたので気持ち悪くなった。心霊系のじわじわとくる作品化と思って観たら思いっきりだまされた。その中でも一番ゾワッとした演出が、シャワー中頭を洗っていると髪の間から黒ずんだ指がにゅうっと現れる描写。観終わって風呂入った時、思わず頭を確認してしまった。自分の髪の量が減っていたことも恐怖だったが。
物語の序盤や過去の回想に雨のシーンが多用されており、映画の雰囲気とも相まって全編イヤな湿度感を感じた。それが迫りくる死霊の陰湿なしつこさと相まって、かなり嫌悪感を掻き立てられる。しかし、死霊には何人か存在しており、結局どの怪異が恐怖の原因となっているのか分からない。原典では主役(?)の死霊がバンバン現れて登場人物を恐怖のどん底に叩きこみ、子供の死霊も走りまわって存在を主張してくれるらしいが、今作でも死霊は結構登場する。ただイヤな感覚は残しても、恐怖を感じさせないのが残念。それより屋敷で狂った老婆の方が怖かった。血まみれの手で腕をつかまれたらオレは気を失うかもしれない。
物語の起こりは日本で呪われた家に入った白人女性が呪いを連れて帰国し、そのまま屋敷で呪いが増幅されて、まるで疫病のように呪いをまき散らし始めるのだが、屋敷に入らなければ呪われず大丈夫という設定らしい。それも苦しい設定に思える。人に引っ付いて呪いがやってくるなら、屋敷に居座る必要はなく、人から人に感染症のように乗り換え、呪いをまき散らせばいいんじゃないだろうか。そもそも呪いは海を飛び越えてまでも何をしたいのか。更に突き詰めると、日本からの旅客機に乗り合わせた乗客には呪いがかからないのか。更に更に何なら屋敷にこだわらず、その旅客機を住処にしてしまえば世界を股にかけるグローバルワイドな心霊現象になれたんではないか。観終わって自分の理性を保つためのように重箱の隅をつつき始めてしまった。
物語が過去の惨劇と現在の事件と行ったり来たりするのも観にくいポイント。こういう展開、演出はやっぱり苦手。話がとっ散らかって、間延びしてしまい、集中が欠ける。惨劇がむごたらしいだけに、えっ?と思わされるシーンが散見される。
洋画にはなかなか珍しい陰湿でイヤらしい演出と激痛を感じさせる無残な描写はなかなかなモノだった。原典を観ていないので偉そうに言えないが、日本人の恐怖感に訴えかける良作ではあったと思う。惜しむらくはとっ散らかった展開と、しぼり切れない死霊の効果と、食欲が失せる死体の描写だろうか。そしてオレは今夜も洗髪中自分の頭を触って恐怖を感じている。