プリデスティネーション

プリデスティネーション(オーストラリア:2014年)
監督:ピーター・スピエリッグ、マイケル・スピエリッグ
原作:ロバート・A・ハインライン「輪廻の蛇」
出演:イーサン・ホーク
  :サラ・スヌーク
  :ノア・テイラー
  :クリストファー・カービイ
  :クリス・ソマーズ
 
連続爆弾犯を追う時間警察エージェントの男と、ままならない人生に倦んだ作家の男が出会い、奇妙な時間の輪に囚われるタイムリープSF作。ロバート・A・ハインラインの短編作を原作に、イーサン・ホークの独特な立ち振る舞いと古典的なセリフ回しが印象的な作品。ただもうちょっと派手なアクションが欲しい、過去、現在、未来と時間を跳ぶ高揚感も欲しいと感じさせてくれた一品。
舞台はタイムマシンが秘密に発明されている世界。連続爆弾犯を追って男が爆弾を回収しようとしたが、何者かから銃撃される。間一髪で爆弾は外すことはできたが、処理が間に合わず爆発。男は大火傷を負ってしまう。傍らにあったバイオリンケース型のタイムマシンに手を伸ばすと、銃撃したはずの何者かは彼にそれを手渡す。何とか本部に帰還した彼は治療を受けて、顔を新しく整形する。復帰した彼は組織から最期の任務を命じられて、再び爆弾犯を追って過去へ跳ぶ。バーテンダーとしてバーに潜伏していると、作家の男がやってくる。作家の男はこれまでの不幸な人生を語る。それは彼がまだ女性であったという数奇な生い立ちから、その転機の遠因となった消えた恋人のこと、彼の子を産んだが誘拐されてしまったことなど、後悔にも似た告白だった。その話が終わるとバーテンダーはその消えた恋人へ復讐をさせてやると作家の男を過去へ連れ出す。バーテンダーと作家の男、彼ら二人は時間の数奇な運命で繋がっていた。
物語は人間ドラマの様子が強い。期待していたのは時を越え、犯罪者を追い、自身や組織、巨悪の秘密を暴くというアクションSFだったが、かつて女だった作家の男と時間捜査官であるバーテンダーとのやり取り、そして回想が中心。大きく物語が動くのは中盤を過ぎて二人が過去へ跳んだ辺りから。作家の男は自分を捨てたかつての恋人と接触を図り、バーテンダーは爆弾犯を追いつつ、自身のキャリアを作家の男に引き継がせるべく時を行き来する。ここにこの作品の主題が存在するが、そこに至るまでの伏線である作家の男の自分語りがかなり長い。確かに真実にたどり着くためには必要な内容だが、もっと短く、要点だけをまとめてもらえれば、飽きることはなかったと感じた。それでも謎の配置や伏線の張り方、波乱の人生を嘆く作家の悲しさが表されて、ドラマとしては良いと思う。
今までいくつかのイーサン・ホークの作品をいるが、この人ドンドン古典劇へと演技が回帰しているように感じる。青い瞳で身動きを最小限にして相手を見据える、悲しみと苦しみを奥深く表情で表現し、セリフ廻し(そもそも邦訳だけど)はシェークスピア劇を思わせる隠喩や警句めいた言葉を使う。大仰だけど演技の原点を表すことで、さらにイーサン・ホークという俳優の引き出しの多さや、幅の広さ、そして凄味を感じることができた。どこかでハリウッド嫌いを公言してた気がするが、幅広い役を演じられて、その他の分野でも活躍できるマルチな人なので、更にエンタメを盛り上げてほしい。
対するサラ・スヌークも難しい役を見事に演じていた。登場は酒場にやってくるやさぐれた作家。自身の経験を書いた物語を売って食い扶持を得ているが、心が耐えられず眼が死んでいるような人物。彼が女性であった時から社会との違和を感じていたようで、優秀が故に誰とも打ち解けられず、孤児であるが故に性に対しては嫌悪、波乱の人生を必死にもがく女性も演じていた。彼女が彼になり、男性の言葉遣いを矯正させられたり、トイレで用を足している場面などに感じた絶望は計り知れない辛さを見せつけてくれた
作家とバーテンダーが時を越えて過去へたどり着くことで、再び物語は動き出し、それまで張られていた伏線やつじつまが繋がっていく演出が小気味良い。肝心の爆弾犯は最後の最後にしか出ないが、その存在へとたどり着くことは、時間の円環の中に囚われることを意味して、輪廻という言葉がふさわしく感じる。それぞれの登場人物が線でつながり、その線が切れることなく過去へ戻り、更に未来へと繋がっていく。そこには過去の自分を愛して、未来の自身を憎んでしまった時間捜査官であるバーテンダー一人が時間から切り離され、輪廻の牢獄に閉じ込められた業を感じた。こういうところもシェークスピアっぽい気がする。

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