ジェクシー! スマホを変えただけなのに
ジェクシー! スマホを変えただけなのに(アメリカ:2019年)
監督:ジョン・ルーカス、スコット・ムーア
脚本:ジョン・ルーカス、スコット・ムーア
出演:アダム・ディヴァイン
:ローズ・バーン
:アレクサンドラ・シップ
:マイケル・ペーニャ
:キッド・カディ
今夏の猛暑にやられて6年間使用したリンゴ印のスマホをとうとう交換した。でも最新は高額なので値引きされた一年前のもの。大きさは手に余るもののサクサク動いて使いやすいが、前のスマホを見捨てるようで少し罪の意識を感じる。そこで眼についたこの作品。新しいスマホを手に入れた依存症の冴えない男が、AIのおかげでハッピーになったり、サイアクになったりと、目まぐるしく変わるITコメディ。
幼いころから携帯を与えられて成長してきた主人公は、日々の暮らしはスマホがなければ送れないほどのスマホ依存症。どんな時もスマホを手から離さない。今日もスマホ片手に出勤するが、仕事はつまらないネット記事の大量生産。いつかは記者を夢見ても陰キャ人生を送ってきた彼は同僚との付き合いも敬遠してしまう。ある日屋外で自転車と接触。スマホを落とした彼は、自転車に乗っていた女性よりスマホを心配してしまう。そこから会話が始まり、自転車店店主の女性と知り合うことができた。が、その直後再びスマホを落としてしまい、今度は大破。慌ててスマホショップに駆け込み新しいスマホを手に入れるが、そのスマホに搭載されていたAIは既存のモノとは全く違う性格を持っていた。スマホ依存症の主人公が、スマホに散々に振り回される物語が始まる。
スマホ依存症に皮肉をぶつけまくっている作品。冒頭からスマホ片手に街行く人々が映し出され、自動運転の車が車道を走る。誰もかれもスマホに生活を頼っており、スマホがなければ生活できない様子を映し出す。その代表である主人公が自律するAIが搭載されたスマホに振り廻されることで皮肉を表現している。手に入れた瞬間からAIに小バカにされ翻弄され、勝手に食事メニューも取り寄せられるわ、訳の分らんポルノを流されたりと散々な目に遭ってしまう。笑えるシーンのはずなんだが、ここから面白みを感じなかったのがこの作品の残念なところ。
主人公の冴えなさ感はあるあるで、自信ないくせに見栄っ張りで運動もどんくさい。この年まで親密な人付き合いができていなかったので、誘いを受けても予定があると断ってしまうような情けなさ。あるなぁ、オレも。分かってしまう自分も情けないが。そんな彼がAIの助言や指導を受けて冴えない人生から一歩踏み出していく。偶然出会った自転車店の女性に近づくため努力して、会社の同僚の誘いも受けてフットベースボールに参加する等々、人との関わりができ始める。どんなにテクノロジーが発達しても、それを扱うのは人間だから、一歩踏み出せばまた違う世界が広がる。
その一歩を後押ししたスマホAIだが、こいつがクセ者。のっけから主人公を翻弄し、勝手に行動や予定を変更してしまう。初期設定の同意を読み上げさせなかったからと言って自分で勝手に行動するようになる。正直読めんわ、初期設定の同意なんて。長すぎるし。さらにさらには自立して思考して、その上自我も芽生えて、彼女や同僚たちと親密になり始めた主人公を独占しようと働きかけ、おっそろし行動をとり始める。いや、デジタルタトゥー残るようなことさせるのはAIのコンプライアンス上いかがなものか。作品全体に下品なセリフや言い回しがあるようなので、AIがドンドンヒステリックな人間味を帯びてくるのが不気味。暴走し始めると手が付けられなくなり、ありとあらゆるデジタル機器を操って、主人公を追い詰めてくる。スマホを初期化したり、交換したりしてもAI本体はクラウド上にあるので、新しくスマホを新調しても戻ってくるというゾンビ設定もある。何それ、怖い。
AIが人間を追い回すという設定自体はよくあるので、新鮮味は意外と少ないが、陰キャ(最近はチー牛って言うらしいが)と言えども一般的暮らしの中に独占欲のあるAIが暴れるのは身近に感じて笑えなかった。もっとウィットや機智に富んだ皮肉の効いたAIが振り廻すのがよかった。ハチャメチャ、ドタバタの明るくナンセンスな展開で、主人公が人生に一歩、また一歩と踏み出していく設定がよかったんでないかなと思った。
自分もスマホ依存症気味で、プライベート用と仕事用の二台持ち。じっとしていても身体のどこかで鳴ってもいないスマホのバイブを感じるほど。スマートウォッチも付けているので更に悪化している。気を付けねばと思いつつも、ついつい手はスマホに。