リトル・シングス
リトル・シングス(2021年:アメリカ)
監督:ジョン・リー・ハンコック
制作:マーク・ジョンソン、ジョン・リー・ハンコック
出演:デンゼル・ワシントン
:ラミ・マレック
:ジャレッド・レト
:オリヴィア・ワシントン
:ナタリー・モラレス
90年代のアメリカのひなびた田舎の郡。老巡査は上司から起訴される男の証拠品を預かりに古巣である科学捜査班へ受け取りに行ってほしいと頼まれる。そのころロサンジェルスでは若い女性が殺害され全裸で放置されるという事件が頻発していた。古巣を訪ねた老巡査に事件担当の若きエリート捜査官は「一緒に来るか。」と事件現場に誘う。現場を見た瞬間、かつて自分が一線から身を引く契機となった事件に酷似している手口を感じ取った老巡査は一人静かに捜査を開始。が、なぜかエリート捜査官が彼つきまとい、陰ながら協力し始める。そして一人の電器屋従業員の男に行きつくが、この男が事件の犯人なのか。静かな捜査が繰り広げられる。
これぞベテランのデカという雰囲気を漂わせているデンゼル・ワシントンが圧巻。どんな小さなことにも気を巡らし、手がかりを繋ぎ合わせ始める。現場で遺体の検死や血痕の確認など、犯人像の推測に終始している担当刑事たちを尻目に、向かいのビルから現場が見えることを発見。乗り込んでいくと誰かがいた痕跡が残っており、犯人の行動を感じ始める。アパート大家のうろ覚えの証言を聴き取りして、電器店へ足を運ぶが、それが違う電器店であることに感づいて、手がかりをつかむ等、地道に足を使い、長年培った勘も駆使して事件を追う姿勢にドラマを感じる。彼は5年前同じ手口の事件を解決できず、病を患い、妻とも離婚して孤独を囲う一老巡査へ退いたという悔しい経歴がある。特に事件の被害者に対しての、犯人を捕らえることができなかったという悔恨の念があるようで、遺体を眼の前に語り掛ける姿は悲痛。デンゼル・ワシントンの映画を観るのはもう数年ぶりだが、いつまでもデンゼル・ワシントンは名優であることは改めて実感させてもらった。そして抱えている苦悩と秘密も。
その相棒のラミ・マレックが将来を嘱望された若きエリート捜査官を演じる。線が細く神経質っぽい印象を受けるが、皮肉ともつかない誘いで老巡査を現場へと連れ出す。上司がヤツに関わるなと忠告も話半分に聞き流し、老巡査とともに捜査、情報を交換して犯人に一歩一歩と迫っていく。登場時は科学捜査を基本にした理論先行の捜査官かと思ったが、老巡査の捜査技法を感じとって学ぼうとしているように見えた。
二人がジャレッド・レト演じる電器屋従業員の男をマークして身辺を探っていく。彼は怪しさこそあるが、決定的な証拠もなく、犯人でないのかもしれない。それでも周囲を探ると、犯行を匂わせるような証言や思わせぶりな行動、連続殺人を取り上げた新聞記事のスクラップの収集など、疑念は深まっていくが、どれも証拠としては弱く、まるで二人を挑発するかのようにふるまっている。ニヤニヤと二人を見つめ、余裕を見せつけるかのように手を振り、時には窮地にはめて、二人をかき乱すやり取りに知能の高さを見せつけた。そんな怪しさ一杯の男がどんな結末を迎えるのかと楽しみであったのだが…。
重厚に練られたストーリーに名声のある役者が演じることで、作品は非常に惹きこまれるが、終盤には今まで築いてきた緊張が別方向に行ってしまう。エリート捜査官と被疑者のやり取りは急展開を迎え、老巡査は置いてけぼりになってしまう。そしてその結果があれでは誰も浮かばれない。被疑者も、誰かに殺された被害者も。そして一連の事件を追っていた老巡査も。
作品の最初から思い返せば、何かしらの違和感はあった。それを忘れさせられるように名優の演技に引き込まれ、忘れた頃に隠された事実が明かされるという驚きはある。なるほど、それが老巡査を事件の捜査へと突き動かす原動力になっていたのだろうが、執念を崩されるラストに救いはなかった。老巡査がエリート捜査官に送ったメモと、ある物は彼の救いになったのだろうかと後味の悪さを感じた。それとも小さなこと(リトル・シングス)は破滅の始まりになるのか。