頼れる人
※親の話とか手術とかいろいろ考えてる日記です。
手術を受けよう、という段階になって思うのは自分に頼れる人がいるだろうか……というところだ。
特に入院・退院時において、自分の面倒を見てくれる人がパッと思い浮かばない。十数年前、母親が人工股関節全置換で入院したときは、自分が手術から四日間くらいまでは付き添っていた。椅子を2つ繋げただけのところに寝て、ガーグルベースの用意とか洗濯物とかを片付けた記憶がある。
今はコロナ禍なので誰かが病室に入って面倒を見てもらう、というのは難しいだろう。だから究極言うと一人でも問題ないだろうし、着替えを持ってくるくらいしか頼めないわけだ。
だけど、自分にはそうして面倒を見てくれる人が誰もいないのだと思うと、腹に冷たいものが落ちる。完全にいないかと言われると、職場の人や友人に鍵を預けるなどして協力を仰ぐことは出来るだろうけど、そうする勇気がない。これは周りの人のせいでは全くなくて自分の気持ちの問題でしかない。
別に毒親とかそういうことではないけれど、母に頼ろうと思ったことがない。嫁姑の仲が悪いせいなのかなんなのか、実家における諸々の行事の実権はほとんど祖母が握っていた。車がないとままならないような田舎の家で、母の権力は極めて弱かった。娘の私も、母を助けられるほど強くはならず、進学を機に家を離れたままだ。たまの帰省で食卓につけば、祖母は何かに付けて母を罵っていた。母の意見に反対したいが為に、さっき喋っていたことをすぐ翻していた。祖母は異常なまでに母を否定していた。父は家の諸々のこと……例えば土地とか畑とかお坊さんがどうとか田舎にありがちなことを、祖母としか話さなかった。すぐカッとなるタイプで、それが嫌で私はいつも言葉を選んでいた。
時が経つほど、私は田舎と距離をおきたくなっていた。そのままコロナ禍になり、これ幸いと私は実家と距離を置いた。いつの間にか祖母も施設に入って父母と兄の3人暮らしになっていた。口には出さなかったが、平和が訪れて良かったねと母に言いたくなった。その頃、母の物忘れが酷くなり認知症と思わしき症状が出ていた。
私が人工股関節全置換術のことを最初に意識しだしたのは四年ほど前で、その頃は母の物忘れもまぁ控えめだった。でもその時から、もし手術になっても実家には頼りたくない・頼れないと強く思っていた。
友達と話していると「胃腸炎で倒れた時実家から母親がかけつけてくれた」など「辛いときお母さんが……」系エピソードをいくつか聞いた。
実家に帰りたく無さすぎて、親にすら弱みを見せられない自分からしたら衝撃的すぎる話だった。
よその家のお母さん強すぎでは???それとも頼れない自分が悪いのだろうか、と悶々としながら私は股関節痛を放置し、コロナ禍になり、母は認知症になった。
母がそうなってから、父とも直接話すようになった。話してみると、父も決して悪い人間ではなく、もっと自分が母との間を取り持つなり、なんなりするべきだったのかと思うこともある。(間を取り持つとかそういうのがやりたくなさすぎて実家を出たのでこれは本当に意味のなさすぎる考え)
実家に一切頼れない段階になったから、手術の決心がついたのかもしれない。(あと鈴木もぐらさんの存在マジでアリガトネェ)
自分は30代半ばだけど、多くの人はこれくらいの年齢でパートナーを見つけて「頼れる人」をちゃんと確保してるんだろな……と思うと暗澹たる気持ちになってくる。(余談だけどストロングお母さんエピソードを持っている友達はパートナーを得ている。こういうとこで差が出ているのだろうか。)
頼れる人は未だ見つからないけど、とりあえず医者に話をしにいこう……。
おわり